『佐藤家の昔話』 B6版
| 第一集「佐藤家の昔話」 | 47・7・20 104頁 |
| 第二集「鳥呑爺」 | 47・19・15 136頁 |
| 第三集「鉢かつぎ姫」 | 47・12・20 100頁 |
| 第四集「天とひばり」 | 48・3・18 104頁 |
| 第五集「へらへら話」 | 48・7・31 84頁 |
| 第六集「夢のほたる」 | 48・11・1 68頁 |
| 第七集「ぬるくす男」 | 49・10・31 80頁 |
| 第八集「蛤姫」 | 50・4・1 224頁 |
| 第九集「おとぎり草」 | 50・7・25 63頁 |
| 第十集「ゆき女」 | 51・2・25 52頁 |
| 第十一集「ねずみの角力とり」 | 51・7・10 56頁 |
| 第十二集「かみなが姫」 | 51・11・10 62頁 |
| 第十三集「山鳥むかし」 | 52・9・28 56頁 |
| 第十四集「和尚と小僧」 | 53・8・15 44頁 |
| 第十五集「竜宮童子」 | 55・1・15 84頁 |
昔話研究に一つの方向をはっきり見出したのは、佐藤孝一氏との出会いと言ってよいかもしれない。置賜の話者をたずねてガリ版にしはじめてから十年経ってふと思い出したことがあった。国学院大学の学生と共に旧本庄村を南から北へ歩たのは昭和四〇年の夏だった。金山、楢下、皆沢、関根、そして隣接する生居や牧野に一夜を明かし、上山市に至る一週間の昔話調査の途次、たまたま佐藤さんの家に寄り、十話ほどの昔話を聞いたが、別れしなに「みんなかき集めれば百話にもなるか」と言っていたのを、その時思い出したのだった。
早速連絡をしてお願いすると、遊びがてらに来いということでお邪魔したのがはじまりだった。初夏のことと記憶する。たちまち三十四話の昔話を聞いて、喜んでガリ版にしたのが第一集だった。次々に飛び出す昔話にテープを廻し続けたのだった。「屁たれ嫁」のユニークな<部屋の起り型>、「豆腐、大根、人参、牛蒡」「とりおやじ」「嘘つき屋」「讃岐の吉内」など、初めて聞くものばかりで、ひどくおどろきあわてていたのだった。それに棒木に昔話を刻んでおいたという伝承方法なども佐藤家独特のものであったし、「お伽衆」(あるいは「咄衆」か)の流れをくむという佐藤家の口伝など、研究の方向の定まらない私は叱られているような気持ちになったものである。
早速「お伽衆」とはどんな人たちなのかなどという文献をさがしたり、置賜地方「木小屋」と上山楢下の「藁仕事小屋」はどんな風に違うのかなどと比較する必要に迫られたものである。後に「お伽衆の昔話」「佐藤家の昔話」(『日本昔話大成』研究篇所収)や「宿場町楢下と佐藤家の昔話」(『民話の手帖』2号所収)などにまとめることになるが、佐藤さんの第一回目の語りから、何か底知れないものがあるという予感みたいなものを感じていた。もちろん六百話に及ぶ昔話の管理をしてきた全貌は思いもよらなかったし、宿場町楢下と佐藤家の昔話の関係なども分からなかったが、ともかくものすごい語り手に出会ったものだと思いながら、早速テープを起こしはじめた。堂々たる百四頁のガリ版が出来上がったのだった。
あれから九年の歳月が流れている。いつ果てるともない話の数はついに六百話に達している。その間、佐藤家の家宝である昔話は、佐藤家の家系の中で抜群の記憶力、お伽衆(咄衆)としての自覚、棒木による昔話の記録といった家系的条件に支えられながら、さらに楢下という宿場町の昔話の条件たる「藁仕事小屋」の中の佐藤家の立場、福聚寺での「ほらの吹蔵・嘘の語郎」の語りくらべ、問屋の店先での若衆の「寄席ぶち」などが、少しずつ解って来た。それらは単に佐藤家の昔話伝承の意味の解明というだけでなく、日本の昔話伝承研究に大きな示唆を与えるものであることも少しずつ分かってきた。
一冊目のガリ版が出来ると、早速それを持参して、その年の八月三日に出かけた。待っていてくれた佐藤さんは朝の九時頃から語りはじめ、夕方のバスで帰るまで七十四話を語ってくれたばかりか、テープに吹き込んであったものも借してくれた。その数は百話に及んだため、二冊目に盛りきれずに、三冊目に渉ったのだった。ここで、とにかく佐藤家に伝わる昔話を細大もらさず書きとめておこうと決心した。ある時は佐藤さんが入院した病院の中で聞いた。佐藤さんがノートをくれたものもある。祖父の権六さんは大小二千話を持っていたというが、それにはとても及ばないと、佐藤さんは言うのだが、聞くものがすべて初めて出会うものであるのにびっくりするだけだった。あれから今日まで、折を見て聞いたものが六百話に達し、その間にNHKに紹介してもらったりもし、講談社へもその一部を本にしてもらったりもした。