はしがき

「南山形ことば集」に掲げられる項目は、そのすべてが南山形の方々に挙げていただいたものである。平成22年度の東北文教大学短大部総合文化学科授業「ことばを調べる」で初めて南山形のことば調査をした折、協力していただいた複数の方々が、「この折に自分たちのことばを書き留めてきたのだ」と、ことばのリストを我々に下さった。リストは語彙集の体裁をなすもの、すでに意味記述や用法なども記したものさえあった。これが本ことば集の骨子となっている。南山形コミュニティーから生まれ、東北文教大学短期大学部が形を整えた冊子と言って良いだろう。

平成23年度の同授業では学生と一緒に、本冊子の作成とアンケート調査の準備を行なってきた。調査に際しては、南山形コミュニティーセンターの所長である三宅寛氏および各自治会長の多大なご協力をいただいた。対面調査、郵送調査の結果の一部は「五.南山形ことば集」の使用度と、末尾の「六.ことばの衰退と残存」にまとめた。

本冊子の作成にあたっては、南山形地区のことばに詳しい地元の方々のご教示を得ながら、時に山形県方言研究会『山形県方言辞典』(山形県方言辞典刊行会、1975年)を参照して語形と意味記述を確定し、辞書の体裁を整えてきた。なにせ私も学生も十分に分からないことばを取り扱うので、基本的には教えていただく他ないわけである。なかには『山形県方言辞典』に記されない項目も含まれていたので、対面調査とは別に何度かお話を伺う機会を作っていただいた。同じ世代の同じ南山形であっても、意味や使われ方に違いのあることが時折あり、南山形のことばや文化の豊かさと多様性を垣間見ることもあった。「南山形ことば集」は、そうしたことばと文化の一部を描こうとしたものである。

平成24(2012)年3月 編者

南山形地区の生活とことば

南山形コミュニティーセンター所長(2012年3月) 三宅 寬

私が小学校(当時は国民学校)に入学したのは終戦の年の昭和20年の春でした。当時はラジオも普及しておらず、終戦を伝える天皇陛下の放送には、拙宅に近所の十数人が集まり聞いておりました。当時中央の言葉(標準語?)は、新聞、雑誌が主で、目からは入るが耳からはあまり入らない時代でした。先生の話も勿論方言混じりですし、高校の通学列車の中では、女子学生達が大声で、しかも方言まるだしでしゃべったり、笑ったりしていたものです。それが、昭和39年の東京オリンピック以降テレビの急速な普及により、標準語が目と耳から同時に、しかも大量に入るようになり、一方、核家族化の進行と共に、家庭の中に方言が入らなくなってきました。必然的に、方言は急速に廃れ始め、今では、全国のどんな山奥でも、子供達が堂々と標準語でインタビューに答えているのを聴くにつれ、メディアの影響の大きさにただ驚くばかりです。

南山形においても例外ではなく、方言をしゃべる人が少なくなり、いつしか人々に忘れ去られ、消えていくのかと考えると一抹の寂しさを覚えておりました。そうした中、一昨年東北文教大学短期大学部の加藤先生より、南山形地区の方言について、学校の授業で取り上げたいので、地区の人達との橋渡しをして頂けないかとのお話がありました。渡りに舟、早速地区内の20人程に連絡を取り、第一回の聞き取り調査が行われました。調査は、地区の人二人にたいし学生さん四~五人で、幾つかのグループに分れて行われました。昨年は、第二回目の聞き取り調査とアンケートによる調査、数人による修正の打合せが行われ、当センターにおける作業は終了しました。聞き取り調査中は、地区民の皆さんほんとうに楽しそうに方言をしゃべりながら、学生さん達の調査を受けていたのが印象的でした。

当地区には、以前谷柏の武田清一郎さん達が纏めた「南山形風土記」があり、その中に数は少ないが、南山形の方言が集められております。只、その本は民話や昔話を中心として編集されており、方言だけを扱ったものとしては今回が初めての試みとなります。今回発行の本は、加藤先生ご指導のもと、学生さん達の研究成果であり、単なる方言集ではない体系的に纏められた素晴らしい本となりました。その本発行にあたり、当センターが、事業の一環として参加させて頂いたことは大変光栄に存じます。加藤先生はじめ学生さん達、この調査に参加して頂いた地区の皆さんに感謝申し上げます。

尚、方言には日本語に表せない言葉が多くあることと、独特のアクセント、イントネーションがあるので、正しく伝えるには音声による表現以外ないと思います。次の段階として、音声による発刊を行っていきたいと思っておりますので、先生はじめ地区の皆様には更なるご協力をお願い致します。

あとがき

授業「ことばを調べる」でお世話になった南山形の方々に何かお返しがしたいという思いが、本冊子作成のきっかけだった。言語調査の方法を学ぶためのこの授業は、理論を教室で学びフィールドで実践をし、分析結果をまとめるという、とりたてて特色のあるものではない。指導が(どちらかと言えば)厳しい私の性分もあって、毎年学生の知的好奇心やモチベーションを下げないよう苦心しているが、学生は調査の実践をずいぶん楽しんだようで、授業感想などにはまた調査に参加してみたいなどの声もあった。調査当日はグループにわかれた随所から笑い声が聞こえたのを覚えている。南山形の方々は学生に合わせて話題をお選び下さいながらも、一緒に楽しもうという気持ちでお話をしてくださったのではないか。地域との交流が学生の学びの気持ちを押し上げるものであれば、フィールド体験を含む授業担当者としては、これほど嬉しいことはない。南山形の皆様へは深い感謝の気持ちと共に、この小冊子をお渡ししたいと思う。

本冊子のことばの意味記述については、苦労が多かった。調査の当日のみならず、一ヶ月ほど過ぎてから、意味記述のために悪原満男氏、茨木光裕氏、酒井靖憲氏、鈴木栄子氏、鈴木靖雄氏、高瀬傳七氏、半田廣治氏にお集まりいただき多くのご教示を得た。お名前を記し、感謝の気持ちとしたい。また調査日程の調整や事務的手続きでは、南山形コミュニティーセンター局長の長英二郎氏に大変お世話になった。

調査の依頼書等発送については、東北文教大学学務課のご協力を、教育研究開発センターには刊行に至る諸手続きでお世話になった。迫力のある題字は書道部顧問で書家でもいらっしゃる梅津ふき子氏に書いていただいた。

本冊子の刊行費用は、東北文教大学の教育開発研究センターと南山形コミュニティーセンターによるものである。本学と南山形が連携した、ひとつの記録となれば幸いである。