57 二十四孝

 むかしとんとんあったずま。
 むかしむかし、明の国に二十四孝という二十と四の孝行の方法あったんだけど。
 その一つ。
 孟宗という人が、親が病気になって、寒中、「筍食(く)だい、筍食(く)だい」て言うてるもんだから、蓑笠着て、そして雪の中、筍掘りした。ほうしたれば運よくモヤモヤしたところに、小(ち)っちゃな筍が、雪の中からいくらか生えておった。その筍持って来て、親さ食せだら不治の病て言(や)った病気が奇跡的にも快方に向い回復したど。寒中筍掘ったていう親孝行、名前は孟宗ていうんだ。んで今でもほの筍のこと、孟宗筍て言うてるんだそうだ。
 もう一つの孝行の一つ。
 明の国でも姑親が病気すっど、それを治すのが子どもの義務であった。ほんで舅親父んつぁんが病気して食いものも食(か)んねくていっど、そこの嫁が、生まっだ子どもば土の中さ埋(い)けで、そして母乳でもって父親を治さんなねていうのが、支那の常法だったそうだ。
 んだもんだから、ある時、父親が病気した。ほして生まっだばりの子ども、息子と嫁が抱いではぁ、埋(い)けて、母乳を親父さ呑ませて、おやじさんの病気治さんなねぐなったこりゃと思って、まず親孝行すんなねと、子ども抱いて唐鍬もって土を掘ろうとしたら、何だかおかしな音する。チャカラン、チャカランて音すっから何だべと思ったら、それから後光がさして来た。そおっとはいつ拾ってみたらば、金の茶釜だけ。ほして金の茶釜を売って、その金で羊の乳を買って、親父つぁんの病気を治した。こういうのが二十四孝の第二話です。
 それから第三話。
 やはり父上が病気して、そして空言に、鯉が食いたい、衰弱した体には、鯉の生血、それから鯉の肉、これが一番ええと支那ではされておったわけだ。ところが極寒期なもんだから、氷がビンと張って、全然鯉のコの字も見えない。どうにかしておどっつぁんさ鯉を食(か)せだい、ほしてほの若者が氷の上に、腹んばいになって、自分の腹でその氷を溶かして、鯉をとっておどっつぁんに食わせたという。
 それから第四話。
 やはり親孝行者がおったけど。そのおとっつぁんが病気した。占師に行って聞いてみたれば、夕顔の花を煎じて呑ませたれば治るであろうと、こういうことになった。ところがほの夕顔の花というのは、すばらしい狼の出る峻険な山にしか咲かなかった。平地には咲かない。それでもその花を煎じて飲ませなければ、おどっつぁんが死ぬ。
「よし、おれが死んでも、おどっつぁん助けねばなんない」
 て言うわけで、ほの若者はその山めざして、夕顔なもんだから、朝・昼には咲かない。夕方からしか咲かない。どんどん行ったら、陽もとっぷり暮れてしまった。そうしたらすばらしい山の中腹でうなり声がした。「ウォー」狼の遠吠えだ。見たら、らんらんと輝く眼光から発する光が見えた。これは恐っかないことだ。困った。こっから進まんねでないか。そういう風に思ったら、その狼が進んで飛びかかろうともしない。おかしいこともあるもんだなと思った。そのうち東の空がパッと明るくなって、十五夜お月さまが出てきた。はいつでよく見たれば、その狼が口を開いたまま苦しそうにしている。ほして恐る恐る近づいてみたれば、その動物の骨がノドにつかえって、何ともししゃます(もてあます)しった。して、若者が苦しんでる者は何でも同じだと思って、取り除いてやった。ほしたらその狼がついてきて、その若者ば守ってくれた。そして頂上まで行って、夕顔の花をとることができて、それをおどっつぁんに飲ませたら、たちまち快方に向った。
 ところがある晩、ドシンというものすごい音がすっから、表に行ってみたれば、大きい猪が家の錠口のどこさ、ぶち当たって死んでおった。何だべと思ったら、その脇に、この前助けてやった狼がいた。狼がオトリになって追わっで来て、その猪が真直ぐにしか進まんねのを見て、ちょうど傍まで来て、ヒョッとよけたわけだ。そうすっど猪がそのまま錠口のとこさ打(ぶ)ち当ってしまったわけだ。そして猪の肉頂戴して、その猪の肉も衰弱してしまった親さ食せて、病気を完全に治して、二十四孝のうちの四孝でございます。ドンピンカラリン、スッカラリン。
(集成「酒泉」系)
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