38 水蜘蛛 ―蜘蛛手沢―

 むかしむかし、山や川には人の生命をねらう、恐っかないものぁいだんだったそうだ。谷川に、あるいは山奥に人や動物をねらうもの、恐っかないものが、いたんだけど。
 この楢下の宿にあった「蜘蛛手沢」という、むかしとんとんで、楢下の部落では、今も松取り沢と称して、村中して松とりに行く山があった。 松というのは松明(たいまつ)で、むかし照明にする道具であったわけだ。 それを秋深くなる頃、とりしまいが済(す)んでから、一冬照明に使う松をとりに山さ行って、地上部が見るかげもなく腐った松の根っこが木株は ちょうど鰹節(かつぷし)のようにトロトロとなっておって、そういうのが非常にええ松とされておったわけだ。
 で、松取り沢に行く途中、一人暮しの老人が若衆に松をとらせるわけにも行かない。自分が使う松を取って来なくてはなんないていうわけで、 ある日、斧、唐鍬持(たが)って松取りに行って、ほしてやがて半分以上も来た。小一里も来たもんだから、ここらで一服すんべて思って、そこさ道具、 どっこいしょと置いて、そこで一服つけた。ところが道具背負って小一里も行ったもんだから、年寄の身にこたえたと見えて、そこへ、うとうとと昼寝してしまったんだど。 ところが向うの方の沢の落葉がムクムクと盛り上がったと思ったら、滝沢川の向うから来て、すばらしい大蜘蛛が、じんつぁの足さ糸からみつけだんだど。 ほしてパタパタ、パタパタと、またその川渡って向うさ行った。ほしてまたこっちの方さ来る。行ったり来たりしてるうちはぁ、蜘蛛の糸がちょうど太っとくなってしまったんだど。 ほして何だか足あたりおかしいなぁて、そおっと眼(まなぐ)細く開けてみたれば、すばらしい大きい蜘蛛が、あっちゃ行ったり、こっちゃ行ったり、こっちゃ行ったり、 あっちゃ行ったりして、ほしてじんつぁの足さ、ぎゅっと糸からげではぁ、ほして、いまつぅとで向うで引張らんとしていだんだけどはぁ。 じんつぁ、知(し)しゃねふりして、斧でその糸ばぷっつり切って、その糸ば道の脇の松の木さ結(ゆ)つないだんだど。 したれば間もなく掛声かけて引張りはだた(始まった)んだど。「ワッショイ、ワッショイ」て。 ほうしたれば松の木ぐらぐら、ぐらぐらていうたけぁ、蜘蛛に引張らっだんだど。ほして、そうっとじんつぁ見たれば向うの方に大きい蜘蛛と蜘蛛の子何十匹と、 して、その糸は綱引きみたいして、「ワッショ、ワッショ」て引張ったんだけど。
 ほうして松の木、滝沢川さ倒して、人だと思って、ぐづぐづと引張って行った。
 ほして、じんつぁ、こんどぁ松の取っどこでなくて、逃げだんだどはぁ。ドンドン、ドンドン逃げて来た。ほしてじんつぁ楢下の部落さ帰って来て、
「すばらしい蜘蛛、あそこさいた。おれ、いま少しで殺されっどこだけはぁ。こういうわけで、おれぁ松の木さ結(ゆわ)えたら、松の木ぁ引張らっで滝沢川さ落っで行って、 今も引張ったがも知(し)んない」
 そういう風に庄屋さんに語ったれば、
「んでは、あそこさ行って、楢下部落では毎年松とらんなねなだから、そだな悪(わ)れ者いたなでは、松とりに行くにさしさわりあっから、その蜘蛛征伐さんなね」
 ていうわけで、村中さ触れて、ほして部落中の人がいろいろな、ほら、竹槍だの、ほら、鉄の棒だの、山刀・斧、いろいろな道具持(たが)って蜘蛛征伐に行った。 ほして行ってみたればやっぱり松の木さ、学校の綱引きするような大きい蜘蛛の糸がつながって、その滝沢川さ引っくり返った。ほして蜘蛛の糸の跡がそこら一面にあった。
「真正面から行ぐど、こりゃうまくない。陰の沢から、こいつぁやっつけなくてなんない」
 て、ほして、その落葉の中さ隠っでる蜘蛛の巣、そいつを片端から村中して突っついて、その蜘蛛一匹一匹仕留めた。土の中から。ほして全部何十匹と退治した。  んだから今でも蜘蛛でて来た沢を、蜘蛛がでてきて、手でじんつぁの足からげたから、蜘蛛手沢とすんべというわけで、今でも〈蜘蛛手沢〉と呼んでいる。 そいつの陰の沢が、一匹一匹蜘蛛の孔から蜘蛛抜いたとこだから、〈蜘蛛抜き沢〉てすんべて、そういうわけで、 楢下では今でも「蜘蛛手沢」と「蜘蛛抜き沢」と「松取り沢」と現存しているわけだ。ドンピンカラリン、スッカラリン。
(集成「水蜘蛛」六六九)
>>烏呑爺 目次へ