2 観音さまの手助け

 むかしむかし、今から五百年以上もむかしのことで、楢下部落が洪水に会って、今でも〈流れ松〉ていうてるところが、みな洪水に流さっでしまった。 ほして元屋敷なていうところにあった集落が、そこもあちこち流さっだ。ほしてほの流さっだ跡に、悪疫が流行してきた。腸チブスが流行した。 体の弱い人、年寄り、子ども、次々バダバダ、バダバダ逝(な)くなって行った。それを見かねた佐藤藤右衛門という人が、数人の人をつれて江戸表に行って、 霊験あらたかな浅草の観音さまのお札を頂だいしてきて、悪疫が治るようにと御祈祷してもらって、それを持ってきて、楢下の山号も如意山ということでお祀りした。
 ところがそのお観音さまを建ててから、悪疫がピタッと止まった。ほして村人が感謝してまた数人して、お礼詣りに行った。ほして平和に仕合せにみんなが暮しておった。
 ところが洪水のときに堰袋がみな流さっでしまった。ほしてなんぼ石を積んでも何としても田に水が上がらない。ほんで普通の年の半分もとれない。 それが一年、二年と続いた。何としても現在の久保川のところに隧道を掘らなければならない。ほして上から水もって来ないど、堰に水上げることが、何としてもできない。
「これは困ったもんだ」
 こういうわけで、村中、何日も相談した。いくら相談しても水もって来ないと分んない。
「んだらば、取りかかんべ」
 こういうわけで夜中チョウチン点(つ)けて、ずうっと高い低い、チョウチンで、「何番チョウチンもっと上がれ、何番チョウチン下がれ」
 て言うて、ほしてほこさ線を引いて洞門掘るようにした。ところが掘り始めてみたれば技術者もいない。 慣れていないもんだから、片っ端からケガ人は出る、ほら落伍者がでる。何とも仕様ない。ところが水上げねど、これまた餓死しなければならない。 一大危機に、楢下部落は直面した。ほんどき、人足も一人減り二人減り、だんだえ行(い)く人も少なくなってはぁ、他村の応援求めて最初とりかかっていたげんども、 何だかだんだえ居ねぐなる。まず、これぁ困ったもんだ。
 ほだえしているうちに、手甲脚絆もりりしく若い十八・九才の娘の、かわいい娘が働くようになった。ほして隧道の一番先さ行って働く。 あぶないどこで働く。人のいやな所に行って働く。ほしてモッコかつぎやら、ツルハシで掘るやら。 そうすっとまた楢下の若者ぁその女見たさに一人集まり、二人集まり、ほして気の早い奴なんか、こっそり会いだいて申し込んだ。 「ホタル狩り行かねが」
 そんなこと誘ってもただポォッとして顔赤くしてるだけで、ほしてニコッと笑うきりだったど。ほんでも笑顔見たばりでもええと思って村の若衆だ、 一軒から二人も三人も行ぐようになったんだど。ほして、いやぁそのきれいな女の話でもち切りなんだど。大久保村でも須田板でも、小笹でも、その話でもち切り、
「楢下のどこの娘だべ」
 また楢下では、
「きっと大久保あたりの娘だべなぁ。いや働きぶりはええし、ニコニコていう笑顔なんていうんだら、何んともやんねぇ」
 て、ほだいしているうち、その新田堰の工事が終ったんだど。ほして、水もどんどん来るようになった。て、誰言うとなく、
「んだら、あの娘、どこの娘だべ」
 て。
「んだら、東村あたりの娘だべか」
 て聞いたれば、東村にほだな娘いね。「ほんでは楢下では…」「いや、楢下には、しらべて見たげんど、ほだな娘はいね、おかしいな」て、 誰言うとなく、楢下のお観音さまの化身だったべな。お観音さまが行って手伝ったんだべな。て、こういう風な話になって、
「はぁ、んだ、ほんでぁきっとお観音さまが助けて呉(け)たに違いない。霊験あらたかなお観音さまだから、きっとお観音さまだったかも知(し)んない」
 て言うて、今では久保川ていうていっけんども、昔ぁ、大久保ていうた部落でも、
「んでは、そのきれいな人足姿の娘さんのその姿そのままにお観音さま、おら方で楢下から請け申すから…」
 て、彫刻師さ、その娘そのままを彫らせて、ほして祀ったのが、久保川のお観音さまだていうことだそうだ。ドンピンカラリン、スッカラリン。
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