36 紫の衣 

 能登の永平寺の開山開基の和尚、道元禅師は非常な信仰家で、学者であって、あれほど長いお経などは、あの人が拵ったんだと。歌など詠んだのも随分ある。
 その丁度の弟子が後を継ぐことになったと。そんで腕も達者なもんだから、紫の衣は最高の衣であるし、紫の衣を許されたと。そんでその弟子が家から出っときも、親から、
「日本一の和尚さまになれ」
 と言わったと。そんでこの紫の衣を着て行って母親さ見せっど、母親はどれほど喜ぶか分んないと思って、紫の衣着て家さ帰ったと。そして母親どさ行ったらば、母親はこう言うたと。
「お前、何だ。紫の衣着て来て」
「俺は今度最高の衣許さっだから、喜んでもらうために着て来た」
 と言うと、母親は、
「俺は着物や何かやは。心持も日本一になれというのだ。お前の寺さ時々行くげんど、道元禅師さまはどうしてる。いつでも麻の衣。麻の衣は一番の修行時代に着る衣で最低だ。あれを着てる。開山開基の和尚であれほどの位をとってる和尚でさえも麻の着物。そいつをお前は、許さっだからと言うて、その衣裳をすぐ新調して来て、俺どこ喜ばせるなんざァ、もっての他だ。お前は信仰なんでなくて、しゃらくさい心を持ってるんだ」
 と、母親に、かえって怒(ごしゃか)らったというはなし。
>>とーびんと 工藤六兵衛翁昔話(二) 目次へ