33 お宮詣り

 前に、大勢の家内で永生きであった家あったと。一番のおじんつぁは八十八才になったと。その年祝いの時、その息子は七十才で古稀の祝いであったと。そしてその息子は四十二才の初老の祝いであったと。またその子は十五才の元服の祝いであったと。
 そして四人(よったり)も、こがえにええこと整(そろ)うのは、めったにないもんだから、あの鎮守さまさお詣りに行ったらええがんべ、と、
「そいつァ、ええがんべな」
 と、そういうことになったと。そんで、
「あそこには神主もいるし、すっから、こがえにええことあった時は酒の一升も、米の一斗も背負って神主さも祝って貰うように、背負って行かんなね」
 と言うたと。
 八十八才になるおじんつぁは、もとんねぐもなったし(年取って足もともふらつく)、眼(まなぐ)も口も分んねぐなったげんども、やっぱり親なもんんだから、
「にしゃださ背負わせていらんねごで……」
 なんていう塩梅で、自分が酒と米を背負って出掛けたと。そして、
「じさま、そこらさ行って、ひっ潰れんべげんど、ほんどきはおらだ背負って呉(け)んなねべ」
 と行ったと。そして行って、神さまの途中まで行ったら、二本橋があったと。そしたば親父は杖棒ついて、荷物背負って一番先になり、
「にしゃだ、うしろ気付けて来いよ。この橋は二本橋で、雨降りなどつるつる滑って歩かんねがった」
 と、一番先に行ったと。その後を七十才になる人と、四十二才になるのと、十五才のが行ったと。
 ところが、一番先になって行ったじんつぁは、やっぱり子供は子供のつもりで、
「気付けて来いな」
 と言うと、七十才になるのは、四十二才になるのに、
「気付けて来いな」
 四十二才になるのは十五才になるのさ、
「気付けて来いよ」
 と、それぞれ子どもさこう言って行ったと。そしたらば、いよいよ橋渡り上げっ時に、じさまはつまづいて転んだと。そうすっど、息子の七十才になるのも、わらわら渡って行って倒れてしまったと。そしてやあやあ言ってるうちに、結局四十二才になるのと、十五才になるのに背負っで宮詣りしたと。
 親というものは、生きている間、どこまでも子どもを案ずるものだと。親というものは、有難いもんだと。どーびんと。

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