57 養善寺の和尚

 まいど、養善寺という米沢の寺さ非常に豪傑な和尚いっかったと。その和尚さまは庭にすばらしい鐘楼がある。ガキベラは和尚さまさ遊びに、いっぱい行く。
「和尚さま、和尚さま。かくれっくらしないか、今日」
「あまりええ、あまりええ」
 そして、ガキベラ鬼になったとき、自分が鐘楼さ上がって、三百貫もある鐘をソクッとはずして来て、庭さドタッと置いて、自分がそいつさ入って、いるかったと。
「和尚さま、どさ行ったべ」
「ここにいた」
 と言うげんども、そいつもっくら返して、和尚さま探(たね)る人、さっぱりいなかったと。  それから、今度、和尚さま、京都の本山さ行ったとき、三条の橋さ行ったところが、橋の掛け換えで、欄干さ青銅の擬宝珠、強気なのつけていたと。そんで欄干にするのだから、そいつさ鋲打たんなね。一尺二寸の橋杭を打ったりする。あんまり金才槌で叩くと鋲の頭ぼっこれるもんだから、大工様も工面して打ってる。
 養善寺和尚は、行って、
「大工さま、大工さま、ほがいなことして打つと鋲の頭みなぼっこれるから、こうして打つとええもんだ」
 と、自分が頸さ巻いっだ白い布を指さギリギリと巻いて、
「鋲は、こさ(此処に)打つのか」
 と、指でボォーァと押っつけたらば、もうもうと煙立って、ぺろっとありだけ、和尚さま打って呉(け)たと。ほだから何んぼ力持ってたか分んねど。そんでも最後には力ためしで、和尚さまも負けだったと。
 檀家さ法事で一杯機嫌で、晩方帰って来た。そうしたところが、寺の門前にすばらしい大きい椎の木あったと。そいつが大入道に化けて、
「養善寺、養善寺」
 と言うと、うしろ見ればすばらしい大入道だったと。
「一番、俺と相撲とれ」
 と言う。いや大入道なもんだから、自分も豪傑なもんだげんど、んだって、相撲とれと言わっで『嫌だ』なんてもいらんねから、取ったと。
 椎の木は両手で半分しか廻んねぐらい大きいがったと。そいつを大入道だと思って、思い切って押したと。そしたば、椎の木を半分むくれたけどはァ、自分も固くなって、木みたいになって抱きついたまま死んでいだったと。それくらいの豪傑だったと。とーびんと。
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