28 有村治左衛門

 むかしとんとんあったけずま。
 むかしむかし、この江戸ていうところに有村治左衛門という人いだけど。その人が丁度十五才になったとき、おじさんから元服の祝いに刀もらった。治左衛門はうれしくてうれしくて仕方ない。なんぼ名刀でも、切って切れないものは鈍刀だ。無銘の刀でも切って切れるものは名刀だて言うわけで、刀もらうときに、おじさんから、
「決して人を斬ってはならないぞ」
 て言うわけでもらったんだが、何となく斬ってみたくて仕様なかった。そしてある晩、辻斬りを計画した。「よし」て言うわけで行った。
 ところがなかなか人が通らない。向うから杖ついで来たばんちゃがいた。提灯をさげて足どりも安定しないようなばんちゃが来た。
「うん、これだ、人生五十年と言うに、この婆さま、格好みれば七十にもなる。二十年も生を盗んだ不埒な奴だ」
勝手に理屈つけた。理屈つけらっだ方が大因果だ。
「よし、これ一刀両断」
 と思って斬ろうと思ったら、モンペの尻の紐をとき始めた。何すんなだと思ったら、小便たれはじめた。小便たれでだな斬るわけにも行かねがら、見っだら小便たれ終ったか終らねか、パラパラと少しふるえたぐらいにして、腰ごしをしったら、こんどは、
「一番孫の誰それ、何時どこそこさ嫁もらって()っど、あさこさ行ぐと仕合せだげんど。二番目、あいつもええ奴だから、あいつ家の大将にして嫁もらって」
 と、大変、孫のこと楽しみにしてる。
「うん、この婆さま、七十になって、まだ楽しんでいる。これは斬るわけに行かね。別な奴にしよう」
 て言うわけで、そっからトコトコ行った。ところが来た。右にふらふら、左にふらふら。
「ははぁ、この野郎、酒飲んできずがった。この世知辛い時に、五尺の体、置きどこないほどに酒飲む奴なて、ろくだな奴でないだろう。よし、これ斬るに限る」
 て言うわけで、うしろからツカツカて行って、「ヨイ」と気合いもろとも斬っど思ったら、これは魂消た。体がひらりと変ったら、利き腕を逆手にとらっだ。
「これこれ、小僧何をする。余が剣道の心得あったからこそ、今のお前の太刀をかわすことできたげんども、百姓町人のたぐいであったら、お前に斬られでた。思えばまだ年端も行かないようだが、どういうわけだ」
「痛たたた…」
 逆手しぼり上げらっだ。
「小僧、キンタマをいろうて見い、縮んでいるであろうが」
 左手でキンタマをさわってみたれば、棹の根っこさピターッとひっついてちぢんでいた。
「そんなキンタマで人間は斬れるもんじゃない。みどものキンタマをいろうて見い、おれのキンタマを触ってみろ。だれているだろう」
「はい、だれております」
「どちらの先生で…」
「うん、水道橋に住む千葉周作だ」
「それでは、あの千葉周作先生でございますか」
「そうだ。剣の極意を教えてやっから、そんなもんでは斬れん。明日になったら、わしの道場さがして参れ」
 て言うて、また右にふらふら、左にふらふらして行ってしまった。さぁ、その逆手にとらっだ腕のいたいこと、家に帰ってきて寝た。
 そして次の日早く千葉道場さ行った。ほして、「頼もう、頼もう」て言うたれば、十五・六才の少年、
「ダレキン先生はおいでですか」
 て言うた。
「何だこの野郎、ダレキン先生なて、うちは千葉周作先生だ」
「はい、その周作先生でございます」
「おかしな野郎きたもんだな」
 て、先生さ、取り次いだ。ほしたら先生が、「来たか、ちぢみキンが…」て言うたど。何だかキンタマのかけ合いしてるみたいだ。ほして有村治左衛門がその日から千葉周作の道場の弟子になった。そして、後に千葉道場の一番剣士、有村治左衛門これにありと言うほどの人になったんだけど。どんぴんからりん、すっからりん。
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