27 家光公の褌

 むかしとんとんあったずま。
 竹千代君が成人し、こんどは三代将軍家光公となった。昔将軍さまはお湯さ入っどきは古い褌をぱっと投げてお湯さ入る。そしてお湯から上がっどきは、その新しい褌を目よりも高く差し上げて、上は絶対向かんねがった。そしてその風呂の世話をする女性があった。そして新しい褌の絹をささげもって、お湯から上がっどき締める。その殿さまの裸姿なて見らんねがった。
 ところがある時、その家光公が、
「これ女性(にょしょう)、苦しうない、ちょっと顔上げろ」
 顔を上げてみたれば、とってもポチャポチャとしてかわいい娘だ。そしてその娘に、将軍さま手出してしまって、いつとなく腹大きくなってしまった。ところが五ヶ月・六ヶ月ともなれば相当目につく、宿下りしなくてはなんね。というわけで宿下り命じらっだ。
 その宿下りするときに、お墨付と葵の御紋章の入った短刀ともらって、そして帰るときに、
「ええか、女生まっだら届けるに及ばず、男生まっだら届けよ」
 て言うて、品物もらって宿下りした。ところが家さ帰ったらとんでもない、親父つぁんが、
「何だ、どこの誰とほだなことなってしまった。御飯(おまま)なの食せね。ほだなものあったもんでない」
 非常にごしゃがっだ。二日我慢しったげんど、
「おっつぁん、おっつぁん、おれの体なの、なぜなってもええげんど、お腹の子どもは将軍さまの、上さまの子どもだ」
「何馬鹿なこと言う、ほだなこと言うたて、おれはごまかさんね」
「いやいや、ほんでない。ここさちゃんとお墨付と葵の御紋章の入った短刀とある」
「ああ、ほうか」
 なんてほんでは娘、でかしたと言うわけで、次の日から煮魚・焼魚・お刺身。
「やぁ、将軍さまの子どもでは、これぁ、今までのようにしていらんね」
 て言うわけでいた。んだげんども「女の子生まっだら届けるに及ばず、男の子生まっだら届けろ」て言うたげんど、なぜして届けたらええか、こりゃ困ったもんだ。ているうちに、十月十日の月満ちて、玉のような男の子生まっだ。たまたまそこさ一心太助ていう魚屋が出入りしていた。そのおっつぁんは一心太助さ相談した。
「ああ、それぁお安い御用だ。おれも親分さ話して通すから、大丈夫だ」
 そして一心太助が、かようかようしかじかて言うわけで、大久保彦左衛門に語った。ところが、
「うん、そうか、よし。んだらばええ」
 て言うわけで、
「丁度、五月節句のとき、こういう風にしろ。葵の御紋章の小旗立てろ。んだど、余にええ考えがあっから」
 て、一心太助さ教えてよこした。ほうすっど、あり金ほとんどはたいて、紺屋さ行って染めてもらって、葵の御紋章の入った幟り旗高々と立てた。ほうしたら、大久保彦左衛門、
「上さま、今日は五月節句でございますから、城中から城下を遠眼鏡でごらんになってはいかがですか。方々にはいろいろな幟りや旗が立って面白うございます」
「そうか、そうだ、遠眼鏡をもて」
「はい」
 ほして、二人が物見櫓から遠眼鏡で、江戸の城下町ずうっと眺めて行った。
「殿、こっちの方がよかろう」
「ああ、そうか」
「これ、彦左、城下に余の紋付けた不埒な者がおる」
「どの方面でございますか」
「向うだ。見えるだろう」
「殿、あれは殿の御親戚でございます」
「城下に親戚はない」
「いやいや、こうこう、こういうわけで、風呂番しった女は、殿の御親戚」
「いやいや、親戚ではない」
「あそこに、玉のような男の子が生れてございます」
「ああ、そうか」
 て言うて、一心太助と大久保彦左衛門の機転によって、風呂焚きの娘の子どもが三代将軍の子どもとして認めらっだけど。どんぴんからりん、すっからりん。
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