23 三平と藤吉郎

 ずっとむかし、三百五十年以上も昔、楢下に三平という人いだったど。
 その三平という人は、毎日の仕事は鱒突きしったんだど。三平という人は投げヤスで鱒採るなの名人だったど。冬分は背中でも頭でも投げヤスで当り前とっけんども、夏になってくっど、そういうどこさ刺すど、息が下がるもんだから、エラのどこ刺すがったど。どこさも傷つけねで刺すがったど。ところが昔は二・三男対策ていうのがないもんだから、ええどこの舎弟コや何かだと聟にもらうどこや、分家して()っどこあっけんども、普通の家では分家や何かしてけらんねもんだから、はいつは江戸さ出て行かんなねがった。江戸は何人行っても大丈夫だった。ところが、あるどころの槍の道場さ行ってみた。三平から見っど、隙だらけだった。
「ははぁ、ほだなごんで人突かれるもんでない。ボーフラて言うもんだ。蚊の兄んにゃて言うもんだ」
 はいつ聞がっだ。
「こらこら、聞けば東北なまりだげんど、どっから来た」
「奥羽出羽の国から来ました」
「ん、その槍使えんのが」
「いや、槍使わんねげんど、あだなごんでは人なの刺さんね、ミミズも刺さんね」
「んだらば、試合やってみっか」
「雲助みたいなモサモサしてんのでなくて、一番えらい人出してけらっしゃい」
 出たって、して、二・三合わたりあった。ほしたら魚のエラさ当てるくらい名人なもんだから、三平の手からヒョーッと放っだと思ったら、その指南番の膝さ当たった。ガクッと言うけぁ、腰逆に曲ってしまった。そしてはぁ、そこさぶっ倒っだ。
 その話聞いっだのは藤吉郎、ほして三平は藤吉郎の槍の指南番になってしまった。その当時、織田信長が長い槍、短かい槍のどっちが有利だか、織田信長の指南番しった人が、
「いや、短かい槍にかなわね」
 ところが何さでも反対して、はいつ為しとげる藤吉郎が、
「短かい槍の方がええ」
 論判がはじまった。
「んだら、いつの何日(いつか)長い槍、短かい槍、試合してみんべ」
 槍のヤの字も知しゃねし、こりゃ、そいつ始まったとき、困ったもんだて、藤吉郎さ言うど、藤吉郎は考えた。
「ようし、世の中、地獄の沙汰も金次第て言うた。金で何とかうまく行く方法ないべか」
 ほして集めたのが、百姓町人ばり、槍のヤの字も知しゃねなばり、短かい槍の方は、ある程度できるな二・三人。ほうして槍の指南番が一番先頭、こっちは藤吉郎が一番先頭、そして藤吉郎は槍(たが)った百姓町人さ、
「一人やっど、一両ずつ()る」
 一両て言えば、盆前も稼がんなね。はいつもらえば大したもんだ。負けてもともとだ。突ついだって殺しはしないべからて、屈強な若衆ばり集まった。いよいよもって当日が来て、太鼓合図で、さぁ試合と、こうなった。ほうすっどスイッと藤吉郎の前さ立ちふさがったのは三平だ。敵の指南番さ目がけて槍を投げた。はいつぁ、いきなり胸さ当った。参ったて言うて倒っでしまった。ほうすっど、恐れをなして逃げ出した。一人やっつけっど一両なもんだから、百姓町人は後から突くは、突くは、ひっちゃかめっちゃか、みな突いでしまった。ほして大勝を博したわけだ。敵の大将やったのは五両、ほして三平が五両もらったわけだ。後の人はみな一両ずつもらった。ところがその槍の指南役しった人は斎藤道三のまわし者だった。はいつが分って、藤吉郎もすばらしく点数上げたし、三平という人も藤吉郎のおかかえの指南番になった。どんぴんからりん、すっからりん。
>>天とひばり 目次へ