12 蛇聟

 むかしむかし、ある村に一人のきれいな娘いだんだけど。ほしてそこにはおっつぁんもおかちゃんも居で、百姓して暮しったんだけど。ところがその娘が年頃になって、夜な夜なうなされる。その苦しみ方は普通でない。
「おかしいこともあるもんだ」
 て言うわけで、おかちゃんが聞いてみたんだど。
「何だ、あの、お前、苦しみ方普通でないぞ、何してるんだ、夜」
 したれば、その娘は、
「おかちゃん、実はおれさすばらしい男が通って来てけんのよっす」
「通って来てけんのよっすなて、どこの人だよ」
「はいつ分かんね」
「どこの人だか分んねな、お前さ通ってくるなんて、ほだなさ身まかせているな て、とんでもないのっだな」
「んだげんど、おら、あの、腹大きくなって五か月もなるなんて、おれさ黙ってで、ほんだら仕方ない、どこの誰だか分んねごんだらば、今晩来たらば袴の裾さ針さ白いシツケ糸を通して、ほして、はいつ袴さ刺してやれ。ほして次の日、その木綿糸ずうっと辿ってみっど、必ず分るはずだ。ええか、そういう風にするんだぞ。どこの人の子どもだか分んねななど()してみろ、一生、お前、(てて)なし子産したなて言うて、うだつ上がんねがらええか。こういう風にしてすっかりした夫婦(めおと)になんねくて、なんねっだな」
 て、おかちゃんが言うたんだど。ほしてその晩もその男がたずねてきて、帰って行くときに用意した、そのシツケ糸通した針、袴の裾さ二針・三針ぬってやった。ほして次の日、母親と二人して、その木綿糸、ずうっとたよって追っかけて行った。もしその若い者とめぐり会うことできたら、いろいろ相談して、式とか何かいろいろあることだから、母親も一緒について行った。ほうしたら大きい岩のかげで、ごろやらで、すばらしいところさ行ったら、コヤコヤ、コヤコヤて、物語りが聞えてきた。ほうしたれば、その若者の親らしい者が、
「何だお前、なまじっか人間さなの恋すっからこういう目に会う。もう蛇に対して鉄は大毒だ。針なの刺さっでから、とうてい助からねはぁ。とんでもないことしたもんだ」
「んだげんど、おっつぁん、おれも後継(あととり)、こしゃえて来たもはぁ、死んでもくやしくないもはぁ」
「いやいや、ほだごど言うたて、人間ざぁ賢いもんで、すでに三月だ。三月節句ともなれば桃の花咲く、その桃の花煎じて酒さ入っで桃酒にして飲まれるんだらば、ほだな、お前こしゃえてきたおぼこなど、みな即座に落っでしまうはぁ、ええか、人間ざぁ賢いもんだぞ、決して油断なんねぇもんだ」
 結局、その通ってきた男ていうのは、男に化けてきた蛇だったんだど。ほして針刺っだもんだから、苦しんでではぁ、いま少しで死ぬばりになっていて、ほして父親から意見さっでいたところ、そっと聞いてきたんだど。それっていうわけで、きびすを返して娘と二人は、こけつまろびつ走ってきて、ほして桃酒作ってその晩のうちに飲んだ。ほうしたら次の日、なんぼもなんぼもその蛇の子がゾロンゾロンと落っでった。そしてはぁ、スカッと落っでしまった。ほして夜な夜な苦しまねぐなって、今度は世間さ何にもわからねくて、そのことすんだわけだ。んだから今でも三月の桃酒ていうのは、体の毒気はらいだど。そういう邪気ばらいだと、こういう風に言うて、(おなご)衆の飲んだもんだど。どんぴんからりん、すっからりん。
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