20 義民文太

 むかし、今から二百五十年前、楢下に文太という人あったど。その人、当年二十四才。ところがその頃、不作が続いたり何かして、殿さまだ、米あつめにきゅうきゅうとしていた。百姓とゴマの油、しぼればしぼるほど出る。いわゆるゴマの油と一緒にさっで、毎年土押し。土押しというのは、一間で一坪、という風土にして、一畝歩、一段歩ときめて多いとこあれば、それだけ税金よけいに上げんなね。最初九尺で一間としたものが、七尺になり、七尺が五尺になって、今度は四尺にされるということになった。
 四尺一間一坪なていうことになれば、とても食うどころか、作っただけ皆やっても足んね。困ったこと始まった。ということで、文太という人は、何とかうまい工夫はないかと、いろいろ策をめぐらした結果、仙台の伊達領さ行って聞いたら、もっとも七ヶ宿は不作ばりあって、米、ろくろく穫んねところだげんど、きわめて()()()()は安かった。こっちの方の何分の一だ。
「そうか、んだらば楢下を仙台領にする」
 て、仙台に働きかけに行くわけだ。楢下衆もひそかにそれを了とした。そして仙台につくべく文太という人が骨折った。
 ところが、楢下でも密告する人がいて、密告でそれがわかって、捕えられるということになったときに、まずそれをいち早く知って、仙台領に逃げるわけだ。仙台領に逃げたところが、上の山の殿さまから仙台の伊達家さ願い出て、殺さねからおら方さ呉ろ、呉ろと、 「殺すんなら、やらねぞ」
 という条件つけだげんど、ほん時、奥さんが自分の亭主助けっだいばっかりに、姥懐のお諏訪さまさ、百晩詣りした。ところが九十九晩目の夜に、おみ坂のきざはしを自分の亭主の生首が転んで来っどこが見えた。首切らっで、「ああ、駄目だな」と思ったら、きのうお仕置だった。そういう知らせがあって、んだらば、女房子どもまでていうのは決まってるというわけで、ある人と手に手をとって、福島さ逃がれた。義民文太というのが語らっでいるのはそういうことだど。
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