24 ゆき女

 むかし、刈田領、七ヶ宿が三年に一度、四年に一度不作続いて、ほして不作ていうど、必ずこっちの方さ、若い女衆降ってきた。ほいつば〈(くだ)()〉なて言うたり、〈(さが)()〉なて言うたり、〈下女〉なて言うたり、いろいろ()わっだそうだげんども、やっぱり十三、四から二十三、四ぐらいまでの女性が一番抵抗なく各家庭さ、まず奉公人、子守として入れる状態だったていうんだな。んだから、ほの楢下の村はずれのある一軒家に、若衆一人ばり住んでいた家あったんだ
 ほこさ、夕方とんとん、とんとんて戸叩く、はいつ出てみたれば、ほれ、きれいな着物きて、若い娘が立ってて、
「何とか一晩泊めてけらっしゃい」
 ていうわけだけど。
「いや、おれ一人ばりだから、駄目だ」
 て、ほの若衆はことわったんだど。んだけんども、ほれ、何とか何とかて頼まれるもんだから、まずはぁ、結局は上げることにしたんだけどはぁ。んでほの七ヶ宿ていうのは、やっぱり不忘山ていうところさ霧押すようになってくっど、こっちでも刈田押したなていうて、刈田雪押す年は不作ていうたもんだもな。んでほの、磐上越えに、こっちの方まで霧押すくらいな年は、七ヶ宿は米採んねがったんだど。ほして南蛮鳥ていうて駒鳥鳴くようになって来っど、とにかく七ヶ宿では、
「ああ、また〈降り女〉に行かんなねがはぁ」
 て、女衆だ語ってるなだったて。して、御領主さまから、命令でみな若くて行がんたてええのは、腹大きいとか、乳飲み児いたとか、そういう人以外には、若い女衆はみな班作って、村々さ入んなだったど。そういう時期がどのぐらい続いたか分んねげんども、そういう一時期があったらしいんだね。
 ほして、ほの、なんぼワラビ出たって、採らねワラビ塚ていうのがあったって。それはほの不作の時に、子どもでも掘って、飢饉をしのぐように、一番条件のええどこさ、ワラビとらねで、ふだにしておいて(多くしておいて)ワラビの根っこ掘って、ほいつで団子拵えて食ったり、餅搗いて食ったりするために、ワラビ塚ていうな、、どこの部落でも残しておっかったって。そのぐらい食料がひどいので、まず、楢下のある家さ来たったて。
 ところが、ほれ、朝げ早くから起きて働く、寒いとも思わねで、せっせせっせて働く、いつのこまえにそこの家さ住みつくようになっていだって。ところがふしぎなことに、夜なってくっど居ねんだど。ほしてふしぎなことが、ほの、ここの部落に起きだっていうのだどな。ほいつぁ何だかていうど、若い男衆どこさ夜行って、若い男衆が脂汗かいて、夜うなされるんだど。うんうんてな。ほして、見てる夢が、ほこさきた女が、きれいな顔で、にこにこ、にこにこて笑って、こちょばさっだり(くすぐられたり)、何かえされっけんど、逃げらんねし、動かんねんだど。ほうして、苦しい声上げて、汗びっしょりかいてしまうどはぁ、その人は駄目になってしまうんだど。
「今日、下町のだれのどこさ出たど」
「こんどは、新町のだれそれ、かからっだど」
 ほりゃ、上町の若い衆て、若い衆ばりだずも、ほいつぁ。ほして〈ゆき女〉て恐れらっでいだんだったど。ところが、立春もすぎではぁ、豆まきも終ってはぁ、まずみんなして、悪魔だから追い出せ、豆まき、ねっづくしろなてして、立春も終って、すばらしくその家の裏さ雪崩ついたんだど。ほうしたれば、
「おれ、温かいなきらいだ」
 なて言い言いしったんだけど。ほの娘がよ。ほしてなんぼしてもアンカンざぁ抱かねがったんだけど。
 朝げ行ってみたれば、着物の千切っだ跡あったんだけど。ほしてはぁ、雪崩と共に居ねぐなったんだけどはぁ。ほしてふしぎなこともあるもんだなぁて、いろいろ後で語ったんだげんども、結局、男衆が駄目になったのも、自己暗示さかかったみたいに、七ヶ宿が不作んどきぁ、ここらも不作で、栄養不良さかかったんだべぇという話と、ほの女は実際にいた人でなくて、おとら渕さ入って死んだ女が、化けて出たんでないかて語ったったって。つとめひどくて、川さ入って死んだ、七ヶ宿から来た女がいだんだったど。そのおとらが出たんでないがったがてもいうたもんだど。
 どんぴんからりん、すっからりん。
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