43 狐つき

 わたしの妹が六郷さ嫁に行って、そしたら産後の日たちがわるくて、わずらっ て、時にちょうど三月十七日の毘沙門さまのお祭りの日であった。
 そのとき、おっかさと娘と、新田(米沢市新田)のおっかさと娘と、それから 南原(米沢市南原)のおっかさと娘とお招びした。そして招んだところが、みん なきておくやったわけだ。ところが六郷の家でだけこないで、その弟が来たのよ。
「今朝、姉さわるくなって、今日来らんねど」
 ていうのよ。その前から産後の日立ちわるくていたななで、ほんで、
「今日、お客さまござっから、ばっちゃ行ってきてけろな」
 て、うちの母親をすぐ六郷さやったのよ。そしたら間もなく孫つれて帰ってき たんだな。
「なんだ、今帰って来たなか」
「んだ、今度よっぽどええ、起きているようになった」
「それではええがった。ほんじゃ、おれ、明日行ってみる」
 なて、その翌日行ってみたのよ、そしたら起きて縁側で大根の皮むきなどしっ たけ。
「なんだ、ほんでええぐなったな」
「んだ、うんとええぐなった、こんどぁ」なんて、
「みんな誰もいない、どこさ行ったんだ」
「みんな、苗代さ出っだから、父ちゃん助 (す) けて行って呉んねぇが」なて言うから、
「あまりええ、あまりええ、何かボロ出してけろ」
 なて、仕事着出させて、手伝ったのよ。午前中一枚(田)残ったので、
「残ったげんど、やめろはぁ」ていうげんども、
「一枚ばり残して、また昼間から出るなていうど、大変だべから、みな終してし まえはぁ」なて、一時頃までかかったもな。そして家に帰ってみたら、こんどと なりのおっかさきて、御飯出してけっだもな。
「おゆき(娘の名)、どこさ行った、こら」ていうたら、
「何だか頭いたいなて寝たから、おれ、して呉 (け) っだんだ」なていうなだけぁ。「あ あ、ほうか」て行ってみたけぁ、うなっていて分んねなだもな。そうすっど、ま ず親族衆はみな集って、
「こんど、おれ藤泉(米沢市藤泉)のお稲荷さまさ行ぐ」
「おれ、八立の地蔵さまさ行ぐ」て、みな走って呉っじゃものよ。そうすっど、 そいつぁ藤泉のお稲荷さまさ行ってきた。そしてますますわるくなって行くんだ な。仕様ないからな。
 そうしているうちに田植えになって、みんな田植に外さ出て、おゆき一人、家 の中にねっだわけだ。そしてそのお稲荷さまのお札、絶対枕元から放さねんだな。 かまわず枕さ敷いておくんだな。
 ところが、そのお札しまってタンスから着物出して、着換えて出て、小山田街 道来たていうわけよ。今まで養なってもらってた人がよ、六月の三日だったな。 おれは畠しったったごで。川原の畠さ出っだんだ。そしたら家の妻 かか が迎えにきた んだ。
「まず、おゆきがねっだな起して、小山田街道きたから」
 もっとも、隣の人が見つけてくれたんだな。
「何だ、おゆきさ、どさか行くぜそ」て言わっだもんだから、来たらと思ってい たげんど、姿見えないていうんだな。見えねもんだから、「何だべ、どこさ行った べ」ていうわけで、舎弟が中街道きたんだ。そして家さ来たげんど、おゆきは来 ていね。んだもんだから、
「姉さ、こういう風にして出てきた」ていうもんだから、家の妻やおしんがきて、
「おゆきは、何とまず、寝っだの起きて家さきるといってきたの、見っけらんね がら、どこさ行ったんだか、行ってみて呉ろ、まず」
 こういうわけで、ほんじゃということで、川原まっすぐ行ったごで、ずうっと 行って渡りあげる頃、女子ども三人いだんだな、それから、
「お前だ、ここ、二十二・三になる女の人通んねがったべな」
 そしたら、その女子どもがよ、「おゆきでないか」ていうんだな。「ほだ、おゆ きよ」ていうたらば、
「あら、今、庄蔵さんが自転車にのせて、小山田街道を、家さ行ぐていうて、塩 野さ行ったな」
「ほじゃ、ええがった」て来たら、家の婆が川原からきて、「会った」ていうんだ な。そして、
「おゆき、おゆき、何だまず、きんなまで養なってもらって食せてもらっていた 状態で、よく来たごど」ていうた。「こわく(疲れ)ないがったか」ていうたば、 「いや、こわくなて、さっぱりない。いや、うしろ前、狐ぞろぞろ送って呉 (け) で、 とても面白がった」ていう。そしてきた。それから家さ着いた。そんでお札持っ て決して放さね。これは奇態だ。
 ところが、川原に子持ちの狐いた。それだったんだな。そして、
「とにかく、狐つきだ。踊りおどってみたりよ、歌うたってみたり、何でも芸当 する器用なもんだ。今度、夜中、こっそり引張り出すんだな。山さなの、川さな のな。」
 うちの婆がノリキさ行って開いたのよ。
「おれは川原さいる狐で、子ども持ってる、無職なもんだから、仕様なくて、お 竹稲荷さ使ってけろて、今行ってんのだ」
「何で人を苦しめる」ていうたば、
「いや、主人がら命令で、あの人苦しめろ、そうすっどお詣りにくる。お詣りに 行けば何かもって来っからな、そういうようにして来るようにしむけろ。そうい わっでいんのだ」
 そうしたら、こっちで、
「人を苦しめるようなのは神でない、こっちの正一位稲荷大明神、伏見稲荷を祀っ ていんのだから、こっちさ来い」ていうたところが、
「ほうか、そうなのしてもらえるごんだら、大変しあわせだ」
 そしてこっちに来る。そうすっど、狐つきはすうっと抜けんのよ。その狐は三 日ぐらい、おゆきに何もしない。それからまたわるくなるんだな。そしてお詣り に行くと、またええぐなる。
「いや、とっても居づらくて、とっても居らんねから、もどってきた」
 そして、あたしが町さ行ったとき、
「こいつはここらの稲荷やノリキではわかんねもんだ、正一位稲荷、竹駒とか伏 見とかさ行って、悪魔祓いをしてもらわないとわかんね」
 そうしているうちに、田植の時になぁ、家さサナブリだった。六郷で早く終し て、おら家さ手伝いに来たのよ、そして孫つれて来たもんだ。「おれ、子守する」 て背負って、その頃よっぽどええかった。
 そうすっど、もう一人、ちっちゃなおぼこつれて、川原さ、おゆきが行った。 ほしてこんど、西の田んぼ終してかえってきて、
「おゆきは帰ったか」ていうたら、
「まだ帰って来ね、川原さ行って見て呉ろ」ていうもんで、何だべて自転車で川 原さ行った。そして下 (しも) ・上 (かみ) 見っけんども、いねんだな。
「こりゃ、おぼこ背負って、六郷さ行ったんだべか」て、ずうっと川端行ったら、 泉橋のどこで、腰おろして、背中のおぼこはギャンギャン泣いていんのよ。
 脇にいたのも泣き声出してる。
 そして、おゆきは平気で歌うたっていんのよ。
「何だ、まず。おゆき、こだなどこにいらんねべに、歩 (あ) えべ」
 また、六郷では、田植終して米沢さ出る人もいて、
「なんだ、おゆき。こがえなどこで何してんのや」
 ていう人もいるもんで、
「いますこし、あっちさ行くべ」
 ていうげんども、
「ええ、行がね」
「とにかく、歩 (あ) えべ」
「こわくて(疲れて)行かんね」
ていうから、
「ほんじゃ、近所からリヤカー借りてくるから、リヤカーさのって行くべ」
「リヤカーさなの、のんね」
「ほんじゃ、何で行くのや」
「おらぁ、バスで行く」
その頃、終戦の頃だから、バスはなかったのよ。
「ここは、バス通んねぞ」
ていうど、
「通んねざぁあんまいず、今通って行って、帰りにのせっからて言うて行った」
 こういうもんだな。決して聞かねんだ。そして、まず、やっとだましてリヤカー にのせること承諾させて、リヤカー借りに行ったごで。そしたら、その店のリヤ カーはパンクしているんだな。仕方なくて、家さ取りに走ってもらって、のせて 行くべと思うと、狐ざぁ、ほとほと困らせるんだな。「のんね、のんね」て、言う こと聞かね。「バスで行くって」きかね。
「バスなの、ないんだから」
 ていうてもわかんね。
「バスがないなんて、あんまいちゃ、今行ったばりだもの」
 て、理屈ばりは、とってもええんだ。
 そして、まず仕方ないと思って、夫がきたので、たのんで、おれはひとまず帰っ たけなぁ。
 サツキが終って、おれが宮城県の竹駒さまさ行ってきたっけが、行ったらガクッ となって、それから、おゆきの狐つきが完全に抜けだっけ。本当に人を困らせる もんだなぁ狐ざぁ。
(色摩清見)
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