23 二宮金次郎

 二宮金次郎ざぁ、まず有名な学者でご ざって、その人というのは親孝行で、小 さいうちに父親は病気で死なっで、貧し い家だったそうだ。金次郎は長男で、後 三人も子どもらはいて、親になくならっ で、ますます貧乏になって、そのうちに お母さんが体弱って、稼ぎようもできな くなったもんだから、金次郎は働いて養 なわんなねくて、勉強する隙もなくなっ て、毎日毎日、山さ柴刈に行って、行き には懐の中さ本を入れて、毎日山さ通う にだって、本を見て、少しの隙も勉強し た人で、またその柴を町さ売りに行って、 明日の米買ったのの残りで、お母さんに 珍らしいものあっじど、少しでも買って あげる。美味いものあれば、少しでも買っ てあげるという。子どもらさは、飴でも 買って持って行くじど、お母さんが喜ぶ のを見てこわいのも忘れて家さ帰って来 て、夕飯を炊いて進ぜて、それからお母 さんのところに四方山の話をしながら、 肩をもんであげたり、足を揉んであげた りして、勤めているうちに、お母さんが 病気になって、床から起きらんねぐなっ たもんだから、親類の人が、
「そんじゃ困ったごんだから、子どもを、 おらだ引取って育 (おが) すべ」
 といって、親類の人はござったところ が、
「いやいや、この子どもを離したくない」
 と、親が言うもんだから、
「そんじゃ、おれは働かれるだけ働いて、 お母さんを安心させる」
 という。今度は小さい子どもも持って、 近所さ行って働かせてもらったりしてい るうちに、お母さんがとうとう死にやっ て、親類の人も子どもを引きとって育て るようにして、金次郎のいうには、
「おれは、こがえな田舎にいて、本も買 うべくもないから、江戸さ登って勉強し てええ人になりたいから…」
 というて、親類さ願って、承知しても らって、いささかの銭を、みんな江戸ま での旅費をあずけて、江戸さやって、一 生懸命で働いて本を買ったりして、他の 屋敷掃きをすっじど、紙など拾い、それ にいろいろ書いたりして、つつがなく勉 強しているうちに、弟子どらは一人二人 とふえて、本もあらわす、一生懸命で勉 強したり、他人にもさせているうちに、 殿さまの耳に聞えて、殿さまに来いと言 わっで、人は来らっじゃもんだから、
「俺が悪いことした憶えもないし…」
 と、堂々と殿さまさ行って、何の話だ かと思って、着ている着物もないげんど も、今迄袴というじど、皆切れたような 袴をきちんと筋を正して着ている人だっ た。そしたら殿さまは、
「お前は艱難辛苦して、世の中のために なるように本を著したり、いろいろして るそうだから」
 と、大した位をいただいて、御褒美い ただいたど。
(海老名ちゃう)
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