21 樋口春子

 昔の東京の人で、親父は警察になって いやった人だ。その人の子に春子という 学校さ行かねうちに、そのあたり、新聞 ざぁやっと出きたばりだったどな。兄ど もら二人いたの、読んでだの、脇にいて、 みんなそう憶えすっかったど。そしてこ んどは学校さ出すと、みんなの本を、み な一人で読むという、記憶すっどいう、 先生もまず喜ぶやら困ったやらだったど、 あまり憶えらっで…。
 そして、ほんじゃ漢文教えてみんべと 思ってみっど、何でもかんでも憶える。
 そのうちに、家だってよくないのさ、 警察やめてから、何か実業で失敗して、 よくよくのどん底まで身上 (しんしょう) は無くなっ てしまったど。そしておっかさまも、学 問ばりそうしてないで、女というものは、 数と着物拵えでも憶えた方ええんだとい う親のいうこと聞いて、あるとこさあつ らがっだところが、
「ああ、ええいたましい子どもだ」
 と、一生懸命で歌の先生に歌習いにご ざっずど、春子というの、考えて歌作っ たこんだずもな。そしていつも同じもの、 垢はつけないで洗濯すっけんども、着る 衣裳もないもんだげんど、
「おれは着物さ心はおかね、なんぼみん なええ着物きてござったって、おれは敗 けさえもしないどええ」
 という意気込みで一生懸命で習ったそ うだ。そして困ったことには、正月歌会 あっどきみな別な衣裳きてござるに、そ れにも同じ着物ばりだっけ。いや、そん どきだっても、そういう風な心なもんだ から、決して恥ないで、まず教えたのざぁ、 こうだというのでなく、陰で聞いていて 憶えっかったど。
「ああ、珍らしい」
 と思って、おれは、何とかこれは世の 中さ出してくれたいと思って、二十五才 のとき、大病に掛って死んだごんだど。
 んだから、努力はなんぼ天才だたて、 努力と気構えなければ、そういう風にな れないど。
 天才なんずぁ、あるもんだべな。
(海老名ちゃう)
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