16 隅田川の渡舟

 いまの東京は武蔵国というたあたりの 隅田川、そこの渡舟だったそうだ。そし て東から京都さ行ったり来たりしている 人はいっぱいいだったそうだな。
 あるとき、何だか都から気狂いのよう な女は、商人さついて竹の枝など持 (たが) って 何か語り語り来るのがいた。そいつ道づ れになって困って、宿屋さ着いたところ が、その気狂い女も宿屋さ泊ったど。早 く起きて、
「まず、こいつと一緒になっだくない」
 と思って立ったところは、その女も一 つになって隅田川さ来たど。
「こういう気狂い女は来たから、隅田川 早く渡して呉 (け) ろ」
 と、商人が言うたところが、
「いや、少し待ってて呉ろ。お前一人ば りでなくま少しもよっど、みんな人ぁ来 るから」
 といううち、隅田川さ寄っているうち に、その気狂い女は何か竹の小枝持って、 何か語り語り舟のとこさ近づいてきた。
「いや、あれは気狂い女だからのらんね」
 というもんだから、みんなのるべと 思ったところが、その気狂い女ばかり残 されっどこだ。
「舟頭さん、まずこの人は業平さまのこ と聞いていないか」
 と、そういわっだど。
「業平さまさ会わなくなんないから、ま ず渡して呉 (く) ろ」
 というたらば、舟頭さんが渡してくれ て、
「歌一つ置いて行かっだこと、お前知 (し) しゃねえか」
 と、舟頭さんが言わっで、
「ああ、気狂いというたったて、これは 見れば品のええ方だんだし、何か気狂い のふりして、世の中渡って歩くななべ。 何かそこさあんべな。いやわるかった、 許して呉 (く) ろ」
 というて、のってもらったところが、 念仏の音が向い側でする。
「何の音だ」
 と、こういうたところが、
「念仏、今日は三月の十五日で、昨年、 とんなことあって、向い側で。ちょうど 命日だほでに、みんな寄って極楽さ行く ようにともらいに念仏申すのだ。その子 どもはむごさい、十一才になるの。ここ からこっちの者は、人を売り買いする人 間にさらわっで、口輪かけらっで連 (せ) て来 らっで、どこ来たかわかんね。目かくし ぶってはぁ、どこぁどうだか分んねく なってはぁ、かまわずここさ連(せ) て来らっ だところぁ、今夜は疲れて、とうとう歩 (あ) え ぶことはできねえもんだから、畜生のよ うな人間なもんだ、人を売り買いするよ うな者は、どこさどう逃げて行ってはぁ、 その子どもばりむごさいことなぁ、置い で行った。そして近所の人はむごさくて、 それそれにしたげんども、どこだ」
 というたば、
「都の者だ。都の北白川の臼田というと ころの梅若丸という一人息子で、その おっかさとばり暮していたところ、遊ん でいたときに、さらわっで来たなだごん だ。んだからおれは死んだごんだら、こ こさ埋めてもらうじど、たしか京の人は 来て、むごさいがったと、おれどこ足を 淀めてくれる人もあるべから、ここさ埋 めて呉 (く) ろ」
 といわっで、柳の木一本植えて、墓じ るしで、みんな今日は命日だほでに、念 仏もして呉 (く) っじゃど。舟頭は教えたとこ ろが、
「そいつさ、おれは探 (た) ねに来たなだ」
 というもんで、その女は泣いて首上げ ないで、岸さついて、まずまず念仏も申 して、
「おまえも、まず…」
 と、肩さ手あてて、連 (せ) て行ったところぁ、
「おれの子どもだ。梅若丸来たぞ」
 と、墓さたずさって泣かっで、みなと もに泣いて、
「おらだ百遍お念仏申すより、お前に、 三度もお念仏申してもらうど、浮かばれ んべから…」
 と鉦を胸に下げて呉 (け) たば、まず念仏申 して、
「母さ、待ってたか」
 というもんで、みな、とも泣きして、 そのうちに、夕暮れになって、その人は 知らず知らず眠って、
「ああ、梅若丸、いたかいたか、ああい た、ええがった」
 と、墓さたぐりついて抱くようにして、
「ああ、行き会った行き会った、お母さ んに行き会いたいと思ってたな、会った」
 というもんだ。喜んでいるうちに、
「梅若丸はどこさ行く、どこさ行く」
 と、お母さんが言うたところが、自然 とどこさか行ってしまった。そしたれば 目覚めたところが夢でであったど。
「埋まってみせたて分んね。なじょなっ ていたんだか。お前、念仏でもしていれ ば、会われんなだから」
 と、みんなに言わっだりして、おだまっ て、
「おれは尼になって、梅若丸の菩提をと もらうべ」
 という決心して、そこさ髪を切って埋 めて、
「おれは都さ帰るから…」
 といって帰って行ったそうだな。そし たところが、とにかく尼になってみだた て、つまんねくなって、京都の池さ入っ て死んだど。
(海老名ちゃう)
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