33 人魚

 南の海にも北の海にも、人魚という、 上は人間で、下は魚の者住んでいたとこ あったそうだ。
 北の海の、その人魚が、ある日、
「おれは海も深いとこばりいて、つまん ないものだ。きかない魚を相手にしたり、 いろいろに上にも浮かばないで、こうし て住んでいんなねのも、人間に似たおれ だ。あわいに浮かんでみっど、人間は歌 は唄うし、面白いもんだ。子どもばりも 人間さ交わらせてみたいもんだな」
 と、あるとき考えて、夜浮かんでみた ところぁこの星を見たり、いろいろして みっど、
「夜というものは、何だか気味のわるい ようだ。昼間とは違うもんだ」
 と。
「そんでも子どもばりも、人というもの は、親切で、決してわれぁ子どもぶんだ だっても、粗末にしない性質をもったそ うだ。だからおれぁ人間さ交わらせたい」
 と、山の方見たれば、産の神でもある べか、あそこいつでも灯あっから、あそ こささえ行って子どもを産せば、誰かに 拾ってもらえんべと思って考えていたう ちに、神様の門前にローソク屋があって、 夫婦ばりでローソク売ってるのがいた。 それから、
「みんな、ローソクのおかげで、おらだ 暮らしているから、お詣りして来んべな、 昼間はいそがしいからよ」
 と、夜、お詣りして、行って帰るとき、 海から上がって、石段のとこさ産(な)して はぁ、帰って行った、帰るとき、何だか ゴチャゴチャゴチャ、キッキッキィなん ていうから、見たところぁ、赤ン坊。
「あら、らら。子ども、おらえに授かっ た」
 抱いてみたれば、尻尾は魚で、
「不思議だ。そんでもこうして授かった なたから、持って行かんなねべ」
 と思って抱いて連(せ)て来た。
「おじいさん、こういうもの、捨て子だ と思う。不思議なもの拾って来た。神様 が授けておくやったのだから…」
 と、育(おが)しているうちに、育(おが)ったところ が、
「退屈だから、ローソク拵えの手伝いす る」
 という。決して人さ交わんねで、まず 絵具でも買ってあずけて、
「ほんじゃ、ローソクさ色でもとらせっ かなぁ」
 と、色塗りさせたり、段々ローソクは 売れて売れて、うんと安泰になって、こ んどは聟とんなねげんど、誰も人さ交わ んねんだし、そしてまず、決して出来な い噂だ。見世物にしたいなんて、買いに 来た。じいさんとばぁさんが欲にかかっ て、
「娘を売りたい」
 と。その娘は、
「売らっで行きたくない」
 と。そんでも買うというたのから、銭 もらったから、売んなねというもんで、 ビリビリとやったところが、南の国さ船 さのって連(せ)て行かっだところが、いや海 は荒れて荒れて、その晩は荒れ、そして嫌(や) んだものを連(せ)て行って、神様のおかげだ べと思っていたの、だんだんとローソク も売れなくなって、自然と、元通りになっ て、そして年寄りになってから悲しい ばぁさんとじいさんが死んだど。
 んだから、授(さず)いたものを大切にして育 てなくちゃなんね。
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