23 三人の和尚

 あるすばらしい寺に、信念和尚と頓智和尚と文殊和尚というのと、和尚三人いたったと。

(1)信念和尚
 信念和尚というのは、いつでもお寺さまなんざぁ裸足で畑さなぞ行かないげんども、閑さえもあっじど、
「俺ぁ食うだけ、是非とも採んなね」
 という訳で、裸足でボロ衣(ころも)着て、温かいがったりすっど、真裸で畑さ行ってるがったと。そして菜っぱ作ったり大根作ったりしているがったと。みんなはそれを見て馬鹿にして、
「なんだ、和尚なんてあつけたな。畑さ行ってダラ(人糞)などかついで行く。ほだかと思うと煙草には泥も洗わねで座禅など組んで黙念として、鼻の先さブト喰付くべぁ、アブ喰付くべぁ、追(ぼ)ってもやらねで、黙っているもんだ。あいつぁ気狂い和尚だ」
 と、みんな言ってるもんだったと。そんでその村の一番の旦那衆に若衆十人もいたったと。その内の一人がこう言うたと。
「あの和尚は馬鹿野郎だから、俺ぁ死んだ振りして、引導してもらって、生荼毘してもらう」
「そいつは面白いがんべ。あの和尚だれば確かに面白い」
 と、旦那も言うたと。
 荼毘道具拵えて、自分がまず棺さ入っていたと。その時、和尚は旦那から〈特に俺どこのこういう若い者死んだのだから、引導してもらいたい〉と頼まっで、信念和尚様に来てもらいたいと言うもんだからと、信念和尚が行ったと。そうすっど和尚は棺の前さ行って引導始めたと。和尚だから経文を唱えてから、最後に気合がすばらしく大きがったと。
「エィ、カツ!」
 と言うと、和尚は終りにしてみんな焼香して、和尚さまもお布施もらって寺さ帰ったと。
「この暑いとき、奴はきっと汗まびれになっているべ」
 と、荼毘ほぐして出してみたと。そしたところが、ちゃんと息切って只今死んだような、何処触っても温かい。そんなように死んでしまっていたけと。
 んだから信念和尚の信念は何ほど強いか分んねけと。和尚だってええ衣裳着てたから神力が強いとか何とかと言うもんでないと。

(2)頓智和尚
 あるところで人が死んだと。引導して貰うために、今回は頓智和尚に来てもらうかな、と言うたと。頓智和尚は行ったと。行ってみたげんどお経なんてはあまり知らねもんだし、棺の前さ行ってしばらく見ったと。
「さて、戒名書かんなね訳だな。こりゃ」
 どて、いたけんども、考えても行かねんだし、そしたら丁度脇に万金丹という越中富山の薬の袋一枚あったと。
「ははぁ、こいつを土台にして名付けたらええかなぁ」
 どて、戒名の位牌さ〈万金丹―毎朝白湯あるいは冷水でも差支えなし〉と書いて、拝んだふりして来たと。みんなも行ってみて、
「なえだ和尚さま、万金丹毎朝白湯あるいは水でもよい。なて万金丹の広告みたいなもんだどれ」
「いやいや、そうでない。あれの親父は万蔵という人だな」
「ほだっス」
「この度死んだのは、金蔵という人だったべぁ」
「ほだっス」
「そして病気を聞いてみっど、若いうちからの丹症持ちで、丹症で死んでしまったということ俺は聞いていた。そんで万蔵の息子の金蔵が丹症で死んだから、万金丹という戒名をつけたんだ」
「ははぁ、なるほどなぁ。ほんじゃこっちはなじょだべ、和尚さま」
「毎朝だから、御飯食う前だごで。こっちの家だってほんがえ福しい家でもないんだし、湯でもええげんど、お湯沸さんねときは、水でも一杯、お仏さまさ上げればええと、こういう訳だ」
「ははぁ、そういえばそういう訳だ」
 と、そして来たったど。どーびんと。

(3)文殊和尚
 この和尚は何でも彼(か)んでも学者な和尚さまだったと。そんでも和尚は少し(ちいと)ひねくれ者の和尚さまだったと。その村の旦那衆太郎右衛門さんという吝ン坊で、物持ちで親父死んだもんだから、息子ぁ、
「なんだて、おらえんな、がってもない(つまらない)のでなく、文殊和尚は位も高いしすっから、文殊和尚に来てもらいたい」
 と言うので、文殊和尚が行ったと。文殊和尚は、
「あの家さは、桐下駄など履いて行くと、桐下駄代にも白足袋代にもなんね、お布施しか呉(け)ねじだ。うまくない野郎だ。あれほどの財産もってで…」
 どて、考えて行ったと。そしてこんどは戒名を付けたと。〈文口院玄田牛一居士〉
 として、和尚さま帰ってしまったと。そしたところぁ、みんな寄ってみて、こいつはどういう訳だとて、息子さ聞いたれば、
「おらえの親父は中々文学家でもあるし、口も中々達者だった。そんで文口院と付けてくれたんだ。それから玄田ちゃ、玄米のとれる田一杯買って残して呉(け)たから、玄田と付いたし、どこにもかこにも馬ばりで牛などいなかった時に牛一匹も買って呉(け)たなもんだから、牛一居士。中々和尚さまは学者なもんだ。おらえの親父ええ塩梅に戒名つけて呉(け)たもんだな」
 と、こう言うたと。そうしたところぁ、その内に余程寺子屋の師匠した人もいて、
「おれは近目なほでに…」
 と言うて、
「なえだか、二つの字は一つずつに寄さって見える」
「ほじゃ、何と読むもんだ、お師匠さま」
「俺には、文口院でなくて、〈吝〉だな。玄田じゃなくて〈畜〉だな。牛一となってだげど〈生〉だな。〈吝な畜生〉となるな」
 と言うたと。そう言わっでみっど、皆も、
「そうでもあるようだし、先に息子の言うた解釈によっど、合っている所(どこ)もあっけんども、これ程の旦那衆で何もかにも吝々する人だから、あの和尚さまだし、そげなこと考えたんだかもしんねえ」
 そして後で、和尚さまさ行って話して、うんとお布施いっぱい上げて、戒名直してもらったけど。とーびんと。

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