6 みかんと尼様

 年寄った尼様がいたったと。その尼様も年も年なもんだし、段々とがおって(段々弱って)はぁ、死にそうになったもんだから、そっちでもこっちでも、
「今日はなじょだ。尼様、体の具合は?」
 と、うんとみんな見舞いに来てくれっかったと。そして、
「あんだにもさまざま、おら家の仏の供養もしてもらったんだし、すっから、何か恩返しに一口でもあんだ好きなもの食せて、お別れしたいのだ。なえでも語って呉(け)ろ」
 と言うた。そしたれば尼様は、何も言わねで、最後に、
「俺は常に見ていっけんど、人のものと俺のものとは分かる。ほんで丁度隣のミカンは随分ええ、あんばいに実ってた。そいつ一つ食って俺ぁ死にたいもんだと思うな」
 と言うたらば、
「ミカン、あれ程なってたもの、一つ二つなんてたんと貰って来て進んぜっどええごで」
 俺行って来る、われ行って来るなんて、二人三人隣にもらいに行ったと。こういうわけだからと願っても、その親父は、
「俺は娘や息子いっぱいもってるほでに、そっちゃなんぼやらんなね、こっちゃなんぼやらんなね、家でも食んなねんだし、とても分んね」
 なて、なんぼ願ってもミカン一つもかなわねがったと。分んねというのを盗んでも来らんねんだし、尼様さ申訳に語ったと。尼様は、
「そういうことでは仕方ない。こいつは自分と他人とはこれくらい違いあるもんだ。唯俺は、今はのきわに言い残したいことはこうだ。もしあのミカンの木に虫などつく。確かに黒い毛虫の、うんと大きなだと思う。そいつがミカンを皆食い荒し、葉も木の皮まで食い荒して食れないなんていうことはない。そう言う時、その黒い虫は尼の魂でないかと思っているとええごで。そしてその家の親父さもそう教えて呉(け)っどええごで」
 と、こう言うて、尼様なもんだから、お経をよんで、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 で、目を落してしまったと。そしたらば次の日から、そっちゃもこっちゃも虫はボツボツ出はって来て、たちまちにミカンの木さたかって、見るみるうちにミカンも葉も食い捨て、皮も食いして、とんと枯れてしまったと。そしたれば先に聞かせらっだ皆んなは、
「たしか尼様が言うのはこいつだ。この毛虫は尼様の魂だ。そんでこういう時に、たった一つのミカンなて、惜しむもんでない、こころよくやるべきもんだ。一つばりのミカンを惜んで、木枯れてしまって腐って切んなね、こげなものになるんだ。本当に罰だもんだ」
 んだから悪い心ざぁ出さないで死ぬときなんざぁ少々なことこらえて、みんなで扱ってこの世の別れしてもらわんなねごんだど。どーびんと。

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