8 山の神(二)

 二月九日、〈木(き)種(だね)おろし〉は、山の神さまが山に木の種子を蒔く日だということだ。
 この日は、山さ行って、木の枝一本折られない、伐られない日だということになっている。
 それは何(な)してだかていえば、むかしは、ここの木こりをしている夫婦があったわけです。して、夫婦が、またまた、つれあいの取れない夫婦であったわけです。して、何とかがの方が美人だわけです。その反対に、夫の方がまた醜い男であったわけです。
 んだども、心根がしっかりしているせいだが、到って睦まじい夫婦であったわけです。ところが、ふとした風邪がもとで、夫が逝くなってしまったわけです。そこで、そのかがが悲しんで、悲しんではぁ、
「おれの夫の面影をしのぶために」
 ある日、魚屋の篭さ、オコゼ―― それがどこもかしこも、角(つの)だらけで、醜い魚で―― そのオコゼが夫にそっくりだはげて、それでそのオコゼを買って、すっかり陰干しにして、そして時々、オコゼ見てはぁ、夫の顔を思い出していたわけです。
 昔、貞女の鑑として、山の神さまが掛けものにはオコゼを抱いて、斧を突っぱっているのが御神体ですな。
>>たかみねと秋田の昔話 目次へ