3 百姓が和尚

         むかしよりたつともしらぬいまぐまの
             ほとけのちかい あらたなりけり
 むかし、大むかし、ある貧乏世帯で、夫婦でもって、わずかの田んぼをやって、その日その日の水呑百姓があったわけです。
 ところが、その百姓の家で、今年七十なんぼになるおばあさんが、一人おったわけです。ところがそのおばあさんが、逝くなってしまったわけです。
 人逝くなれば、まず近所の人たちがみんな集まって、いろいろ相談や何やらするのが世の常でありますけれども、貧乏なもんだから、誰も来てくれる人もない。それにまた、銭こが三文しかなかったわけだ。あり金をみんな集めても。
 三文の金でもって、早桶とサラシと買って来ねばなんねわけです。果して三文で買ってくる葬具屋があるかないか分んねがら、まず親父が行ってみたわけです。
 町さ行ぐと思って行ったところが、町近くなってからの大きだ部落で、道路いっぱいにふさがって、人がガヤガヤ叫んで騒いでいるところがある。
「あっ、決斗でもしてるべか」
 と思って、人を押し分けて、物好きな人でもあるので、かわいそうな目に会ってる人あっかど思って行ってみたところが、そこで乞食が死んでいる。ボロを着た乞食が死んでいる。そして権幕をやっているのは、立派な物持ちの腹のふくれた親方と、町人らしい人と喧嘩している。言いがかりの喧嘩なわけだ。
 話に聞けば、朝起きたら、その乞食が、二軒の屋敷の垣根の真ん中で死んでいるわけです。それで昔の法の定めで、〈誰でも、行き倒れは、自分の宅地内で死んだ人は、その宅地の人が片付けなね〉ていうことに定めてあった。せば、なんぼかの金かかるのだから、誰も片付けたくねぇわけです。ちょうど境でもって、いたもんだからし、二人でやればええでねぇがていうのが、あたりの野次馬の声だわけです。それが、金いたましくて、どっちも片付けねわけです。
「とにかく、体の方がお前の方が余計かかってるから、お前、片付けれ」
 と。そっちは、
「着った着物の方、お前の方に余計かかっているから、片付けろ」
 て、どっちも片付けたくないわけだ。へで喧嘩なわけです。ラチあかねわけだ。そしたらその親父が、何と、自分の身の上も忘れてしまってはぁ、まずむらむらと義侠心が湧いて来たけだか、
「ああ、何とか、そう、誰も片付けねごんだば、おれも、昨夜(ゆんべ)、おれの親(おや)婆(ばば)コ死んで、早桶買いに行くどこだども、ついで一緒に入れてやっだいから、おれちゃその死人売ってけれ」
 どはぁ、いや、三文しかない銭も忘れではぁ、その三文で何とか死んだ人、おれちゃ売って呉(け)れて言うた。
 ところが、急に笑顔になって、
「おやおや、おやおや、なっと買って呉る人あらば、売るだら、只で呉れてやるはぁ。ああ背負ってって呉(け)れはぁ」
 て、二人で帯といてはぁ、「背負ってって呉れ」どて、乞食死んだの、親父さ背負わせたわけです。
「ええがった、ええがった。安堵した」
 てはぁ、その親父はぁ三文の銭コ持って戻ってきたども、町さ行かれねぐなってしまったです。死人一人ふえたもんで。これからこの死人を片付けるかと、頭にないわけですはぁ。
 そして、なんと、やっと日暮れまでかかって家さ、玉の汗してはぁ、そのかかぁもまた悪れ顔面(つら)一つしねぇ。
「おお、んだば、ええがった、んねが。おらの婆さま一人旅ゆくよりも、連れあってええがった。ああ、んだら仏さまさ飾るとはぁ」
 なんと、しっかり体洗ってはぁ、ばぁさんと二人、仏さまさ飾ったわけです。
「今から町さ行ぐったて、三文の銭しかないもの、明日ローソク買う銭もないもの、せば、いまに新しい俵さ入れではぁ、お前と二人で背負って、畑の隅さでも埋めて呉ろどはぁ」
 ていうわけで、まず二人、通夜したわけだ。誰も来ね。二人で通夜してはぁ。
 ところが、トロトロどて眠ろうとしたら、どっちも疲れて、乞食どこ拾って来たので、居眠りでてしまった。トロトロと居眠りしていたら、なんと夜明けていたわけですはぁ。夜明けだげんども、今までここさ二つ飾ってあった死んだ人居ないわけです。
「はてなぁ、これ、おかしいごった。んねが。何としたもんだべか」
 見たところ、光るようなもの仏壇の方に見えるようだど思って、ひょいと見たところ、何ときれいな金の観音さまが上がっていたわけです。仏壇さ。
 そして、職人風の袢天を着た人が二、三人入ってきて、
「ああ、これはこれは、お早うございます。実は今、これから寺を建てることになったども、一つ、材料のようなもの、今、取り整えてあるのを見てもらわんねですか」
「いや、とんでもない話だな」
「いやいや、そでねぇす。何としぇ、指図によって、これから、寺の職人で…」
 どて、してしまったわけです。親方も途方にくれて、「まず、歩け」というわけで、裏の方さ行ったところが、何とすばらしい材料ばりいっぱい整えて、そして今、カンナ使てる職人が何十人。
「はぁてなぁ、こりゃ不思議なもんだ」
 なて思ったたて。なんと昨日まで炭焼きしてだ親父、
「和尚さま、どうもお早うございます」
 て、みんな頭さげる。それから何が何だかさっぱり分らなくなってしまったわけです。ほうしているうちに、わずかの間に立派な寺できてしまったわけです。ほして、あっちこっちから和尚さまが何人も集まって、そしてその寺の住職さんにと、立派な衣も来たし、衣着てみたところが、なんとお経でも何でも、すらすら何でも読めるようになったわけです、一の字も知らない人が。これが、
        むかしよりたつともしらぬいまぐまの
            ほとけのちかい あらたなりけり
 という、御詠歌のはなし。
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