43 道智・行智・宥日

 道智と行智と宥日と三人の名僧がいだったど。行智という人は天にのぼり、道智という人は地にこもり、宥日という人は行方不明なったど。宥日はどこで成仏したものかわからない。
 宥日は安道寺に寺を作ったが、後、禅定院を建て、それが火災に会った。唐の径(きん)山寺(ざんじ)が焼けたとき、宥日さまが柄杓さ水くんで掛けたど。ここにいて。そのために早く消し止めたもんだから、お礼として宝ものをもらったど。その宝物は掛軸で、「東波が竹」「補之(ほし)が梅」と「微子の達磨」のである。「補之が梅」というのは、昔は梅の花が咲く季節が来っど、その花さ色つくていう。ところがそれが表具にやらっで、表具したとき取かえらっだべという。それから色つかなぐなった。
 達磨は真言宗では必要ない。そんで曹洞宗だと達磨信仰するからと、源居寺さ呉っでやったど。七月七日に虫干しして見せるという。その禅定院には「変り松」というのがあって、宥日法院の植えたものといい、上の枝の色にちがうところがあり、そこだけ黄色の葉だ。
遠藤勘次
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