4 大荒山不動尊の生い立ち

 大荒山のお不動さまは、八谷の不動沢の胎内くぐりにてお生れになったそうです。
 不動沢お釜にて、産湯をつかい、加減沢の水にて湯加減をされ、そして取り上げられたのだそうです。そのため今でも「カゲン沢」として残っております。
 その後、不動沢の本沢をカゲン沢といっています。そして十五年後元服されまして、大荒沢のお滝にお移りになったということです。その不動沢からの引越しされた時、木の葉や草まで皆赤くなったと言い伝えに残っています。その後、私達若い頃、沢山の伐株が残っておりました。
 大山の大滝平や小滝平に何百年もたった杉の大木が沢山ありました。明治十年頃だったと思います。米沢の相田材木屋が買って伐ると、一天にわかにかきくもり、一寸先が見えなくなり、雨嵐となり、木の上には天狗のような物がとんでくるし、それが止り木を伐ることはできなかったそうです。
 今から三、四代前の田沢(でんたく)寺が行き、毎日祈祷して伐ることができたという話が残っております。お不動さまは新たな神さまで大山にこんなこともありました。
 春山に登り、泊っているには、大小便は土を掘って毎朝は水を全身にかぶり祈祷して、毎日の健康をお祈りして働いておりました。家でも〆縄を張り、お精進、家では夜だけ肴を食べることができました。こんなこともありました。大山に登り泊って仕事をしている。近くの家で人が逝くなり、知らせに行くことになりました。姑が遠山に知らせに行き、お吸物の蓋をとってみたら、玉子の吸物であったから、御馳走にならず帰ってきたが、大山で仕事をしている人の返し木の裏に、鶏のおんどりが止まり、刻(とき)をつくったので、山にいる人は不思議に思い、家に何かあると、家に下ってみると、その通りの話であったという話である。
(内藤三郎)
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