20 米を運ぶ

       (1)
 むかしは、お蔵米というやつ、仙台の殿さまさ米を差上げるお蔵米という奴が あったった。御年貢だな。その御年貢米なるものが今の高畠の場所場所があって、 宿々から伝わって白石さ行ったのよな。
 そん時、峠を越すど米を背負って商いをすることができねがつたど。そんで商 いをしたものは、佐兵以外にはなかったど。こういうわけだ。佐兵がどうしても その米を背負って二井宿峠を越えて、七ヶ宿さ行ってとがめられる。
「何だ、箱を背負って通る。何入っている」
「穀物だ」
「穀物を背負って歩 (ある) ってはならないことになっていんなだから、それを承知で背 負って来たなが」
 て言うたら、
「承知で背負ってきた」
「取調べるから来い」
て言うて開けてみたところが、オムスビだというわけだ。ムスビが出てきた。 「ムスビでないか」
 て言うたら、
「これ、穀物の一つだ。お役人が、何が入っているというから、これ穀物だてい うて、何悪いわけでない、ムスビだって穀物だ」
「小馬鹿くさい、通れ通れ、関所を通れ」
何でも三回ぐらい続けてやったということだど。二・三回取調べをしたげんど やっぱりそのムスビを持って、
「おれ、商人 (あきんど) で買い出しに行くんだから、弁当入っているんだ。穀物、間違いな い」
 て申訳出きるわけよ。それからこんど、
「駄目だ、これぁ調べだって分んね、捨ておけ、捨ておけ」
 て言うわけで、役人、見ないふりして…。
「さぁ、こんどは本気になって米背負い…」
 白米などどんどん商いしたど。そういう話があるど。
(今井勇雄)
        (2)
 むかし、上杉さまの時代、露藤から酒を運ぶについて、どうしたらええかとい うこと考えだんだ。そして組んで背負って十日も背負ったというんだな。仙台さ 越えて、それからまた背負って来たて言うんだな。やがて役人は始めて蓋取った
ど。何べん蓋取らせても、小便つけてなもんだから、
「酒、酒、そっちゃ持って行げ、そんなもって来んな」
 て、馬鹿と見らっじゃもんだど。そして酒を一生懸命に運んだど。
 それからこんど、米運んでやりましょうと、その米を運ぶには、どうして運ん だらええかて、お役人の目ごまかすにはどうしたらええかて、考えた。糠詰めて 背負って行ったど。そしてわらわら逃げて、観音岩(高畠町二井宿)に登って、
 そして糠二俵にして背負ったど。
「そしたら、この野郎、佐兵、待ってろ、待ってろ」
て言うげんども、糠だから追かけらんね。そしてとうとう押えらっで、こんど みんな掛りして六人もかかって先廻りして、押えらっだら、糠だった。そうして 何べんも糠だったど。そしてこんど、
「あいつぁ馬鹿だ、かまうな」
 とはぁ、こういう風になったものよ。そして米を一生懸命に運んだど。それか ら米を運ぶことしたり、醤油を運んだりしたということだ。
ある日、お天気のええ日、清水のどこで、のたばって米二俵背負って水飲みしっ たど。
「あららら、この人は死んでだ」
 て言うたら、そしたらば、
「何もし」
 て、むくっと起きて立ったど。それくらい力がある人だったど。そして小便すっ どきは、米背負ったまんまだったど。
(吉田広)
>>佐兵ばなし 目次へ