57 おりや峠

 むかしあったけど。
 むかし、越後にお里乃という娘がいて、そこの家で、蛇漬けて、そして「三年経(た) たねば食うな」て、カメさ味噌漬にして置いっだって。こんど少しずつ食べさせ たど。あまりうまいもんで、家の人のいない後に、その味噌漬少しずつ食べ食べ して、カメ一つ全部食べてしまったど。こんど喉乾いて、かわいて、とても汲ん で飲んだんでは足んなくて、入り水の桶にかぶ..づ.いて、そして水飲んでも、そん でも足りなくて、手前の川さ行って、川さ入って水飲んだど。そしているうちに 大蛇になってしまったど。そして川にいらんねために、大里の山に入り込んだん だど。そしてそこの山を七回り半巻いたとき、一人の坊さんがその山道とおりか かったど。そして夜になっても、盲目なもんだから、越すべと思ったども、とて も途中まで行ったら疲れて来たし、さびしさも来て、道側さ腰かけて三味線ひい て唄うたったど。そしたらその蛇というものは唄がなんぼか好きなもんで、そし てまず、坊さんのことだから、ええ女か悪い女か分らねども、まずええ..女がでて きたそうだ。
「坊さま、坊さま、おれ唄が好きなもんだから、いま一つその唄きかせてくろ」
 て、その坊さまがまたその唄きかせたそうだ。そしたば、
「坊さんが誰にも言わないごんだら、おれも素状を言う」
 て、
「おれは、実はこういうわけで大蛇になってしまって、この山七巻き半まいたど も、十二巻きまけば、関八ケ谷、水の海にしたいと思ってる。んだども、おれの 体には一番わるいのは、鉄だ」
 こう言うたど。
「だが、人に話せば、あなたはすぐ死んでしまうぞ」
 て、そう言うたど。その坊さまは誰にも言わねごとにして下ったど。そして下関(しもぜき) の関三左衛門さまという大地主さまさ泊めてもらったど。
 血相かえて、その坊さま、そして、
「村の衆を集めて呉(く)ろ、おれ話し終れば死ぬべから、片付けてもらわんなねし、 聞いてもらわんなね」
 そして、こういう蛇が七巻き半まいてるそうだから、十二巻まけば、関八ケ谷 海にするからと言うから、どうか早く退治してくろ、て言うたって。言い終っど 坊さまは、すぐクンと死んでしまったど。そして、その坊さま祀るために、座頭 の宮というお宮建てて、今でも杖も笠もあるそうだ。そして、
「蛇の体には鉄の錆は一番毒だ、そういうごんだ。それから栗の木の、栗の渋も 毒だというごんだから、それらを持って行って打ち込んだらええ..べ」
 て、こう教えて死んだそうだ。そして村人たちがみんなで杭を作って、山さ行っ てみたば、一樽もあるようなの、巻いでで.あったど。そして、てんでん....に杭を打っ たそうだ、その蛇さ。そしてその蛇が七日七晩苦しんだって。そしてこんど尻尾 落して、パチャンパチャンて言わせて、その地名が大内渕、そういう風に今でも 地名あるど。そして関八ケ谷助(たす)かてあったど。そんで恩返しに、今でも祀られっ てるど。むかしとーびん。
(川崎みさを)
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