1 田螺と狐

 一冬中どこに冬ごもりした田螺も、温かい田の水にうかれたように、ノソリノソリ散歩しております。するとそこへ近くの野原から狐が一尾駆け出してきました。水を飲もうとして、田に首をさしのべると、田螺がノソリノソリ這いまわっているのを見つけました。
「やぁ、田螺君、ごきげんよう」
 と、陽気な狐は言葉をかけます。「しかし君はずい分のろいんだね、君が一日中歩き通したって、僕は一またぎぐらいさ」
 と、からかいました。温かい春の陽ざしの中に、ゆうゆうと散歩しているのにこういわれては、内心甚だ面白くありません。
「いや、そんなことはないよ、君の歩くぐらい僕だって歩けるさ」
 と昂然として口をいっぱい開いていうのでした。狐もそれにはびっくりして、
「そんなに歩けるかな」
 といいますと、売り言葉に買い言葉です。「歩けるとも、へいちゃらさ」と言い切るのです。それじゃ向うの山まで駈けっこをしようということになり、スタートに着きました。一・二・三と駈け出しましたが、そのときには、房々とした狐の尻尾の先端に田螺がぴったり吸いついていました。ドンドン駈け出した狐はそれと知らず、大いそぎで山を目ざして走ります。
 途中で、「田螺君、どこまで来たかなぁ」と立ち止り、後を振りかえって見ました。一足先のところにポタリ落ちた田螺は、大声で、
「狐君、いまかい」
 といいました。これには狐もびっくりして、一言もありません。またぴょんぴょん駈け出しましたが、ぴったり田螺の吸いついてしまったことは、いっこうに知りません。こうして、ハァハァ息をはずませて約束の山のふもとに着きました。
「今度こそ、田螺君も負けたろう」
 と後を振り向きました。素早く降りた田螺は、さもさっきから待ちかねたように、
「狐君、今かい、さっきから待っていたよ」
 と、平然としていいました。狐もこれにはすっかり降参してしまいました。
 その後、もう一回駈けっこをしましたが、凝(こ)り性もなく、また狐の尻尾の先にぴったり吸いついて、田螺は目的地についてから、狐が突然尻尾を振ったため、運悪く岩の上に落ちて、とうとう殻がこわれて死んでしまったということです。
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