26 猫の恩返し

 むかしあったけずまな。
 米沢在の南原というところさ、常慶寺という寺があったそうだ。その坊さんが、ある日小僧と檀家さ行った帰りに、犬に追われた一匹の小猫を助けた。その小猫を寺さつれて来て、オコウという名前つけて可愛がってたそうだ。尻尾の方は「ごんぼとら毛」だったもんだから、「ごんぼとら毛」とも呼んで可愛がっていたそうだ。ところが近頃になって、毎晩、夜遊びに出る。朝方になっど何もして来ないような顔してもどって来ると。それから約半年も続いたと。和尚さんは不思議に思って、ある晩どこに行んか、小僧さ後付けらせた。ところが、小僧が猫の後をついて見えかくれして行った所が、山の奥の奥山だったと。その奥山さ大きな、十畳敷ぐらいの岩だったそうだ。その岩で奥山中の獣がみな集って、テンでも、いたちでも、狐でもシシでも、ムジナでも全部集まって踊りおどっていたったと。その踊りの文句は
〈常慶寺のごんぼとら毛 ござらねと
なんだか拍子が 整わね〉
 というんだと。そいつを狸の腹太鼓で踊っていたんだと。
 猫が行くと、にわかに、
〈常慶寺のごんぼとら毛 ござったら
拍子が そろった〉
 と踊ったと。小僧は魂消て、家のオコウは大したものになってた、奥山の獣の頭になってたようだ、と和尚さまさ語ったと。何だか不思議だと思っていたら、やっぱりそういうことかと、和尚さまも言って、朝方になっど、知らねふりしてもどつて来て、和尚さまの前さつくねんと坐って、
「長々御厄介になったげんども、オレはこういうわけで山奥の獣の頭になったから、この寺には、とうていいらんねから、暇を出してけろ」
 と願ったと。和尚も小僧の話を聞いてたもんだから、手放すのもいたましいげんど、仕方ないとこころよく承諾してくれたと。んだげんど、長年厄介になった恩返しもできない、ただ、オレが寺を立った後、上杉様の殿様がなくなる。そのとき一天にわかにかき曇らせ、その棺を天上さ釣上げる。そして、米沢の和尚さんが、なじょなありがたいお経を読んでも、絶対棺を下げね。そこで和尚さまのとき、お経よんだ後さ、「オコウ、火車」という言葉をつけてけろ、そうすっど直ちに暗雲晴れて、棺を下げてよこすから…と言い残して寺を出たと。ところが猫のいう通り、上杉様ぽっくら逝くなった。そして野辺送りの行列の途中、一天にわかにかき曇り、雷雨となった。そして棺が天上さ釣下った。見送りの者が、あれよあれよといううちに天上に上って行った。
 和尚さま方が、なんぼ有難いお経あげても棺が下らね。
「仕方ないから、南原から常慶寺の和尚よんで、お経あげさせろ」
 ということになって、和尚は駕篭さのってかけつけて、お経よんだ後、「オコウ、火車」という一語つけたと。そうすっど、直ちに暗雲晴れて、棺が元の蓮台さおさまったと。

 米沢市南原には「狐のくれた文福茶釜」の伝説があるが、その寺のことかどうかはわからない。これと同じ話は米沢市には一般に知られ、窪田の千眼寺に残っている。「雨夜の伽」に見られる。
(椚塚 佐藤宇之助)
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