25 三枚のお札

 むかし、あるところに大きな寺があったそうだ。そこに非常に利発な小僧があったと。あまり利発すぎて、
「田舎の寺では修行できない、旅さ出て修行したいから、暇(ひま)を呉(く)っでけろ」
 と和尚さまさ願い出たと。和尚さまはなんぼ利発でも、子どもなんだから、
「お前なんか、まだまだ早い。もう少し寺で修行して、それから旅さ出て修行しろ」
 と言うたと。んだげんど自分が思い立ったことはやっぱりやりたくて、和尚さまの言うことも、ふりむぎって旅に出ることになったと。
 旅の始めの日、行けども行けども野原だったと。その真ン中で日が暮れてしまったと。暗くなったにつけても、人家さ辿り着きたいと急いでいた。ところが向うに灯(あかし)が見えた。そこを尋ねたところが一人の老婆が出てきた。
「旅の小坊主だげんども、途中で日が暮れて、難儀してるもんだから、今夜一晩泊めてけろ」
「むしゃくしゃしてるどこだけども、お困りのようだらば、あまりええどこでないからだげんど、泊って行け」
 というわけで、その家さ上ったと。小坊主は心細くなって、旅に出っどき、和尚さまにあずけられた青い紙と白い紙と赤い紙と、三つの紙を思い出したと。危いとき白い紙を投げっど、砂山出るし、赤い紙投げっど火になるし、青い紙投げれば水になる。と教えらっでいたのであったと。そして炉端に寝たと。夜中頃、ふと目を覚ましてみると、その老婆は鬼になって、
「腹減っていたなだから、お前どこ、とって食うべ、ええどこさ、お前が来た」
 というわけだと。小坊主は、
「鬼婆だから食れんのも仕方ない、んだげんど、オレの腹の中には汚ないものたまっている。厠(かわや)さ行って来るから、その内待っててけろ」
「汚ないもの溜っていてはうまくもないべから、汚ないもの払ってこい、ただし糸縄つけてやる」
 と縄つきになって厠さ行ったところが、厠さ、ベロベロの神がいた。これは何でも聞くこと教えてくれる神様だったと。小坊主は、
「ベロベロ、今、鬼婆が〝まだか〟と聞くから、〝まだまだ〟と言うてけろ」
 と言って、ベロベロを欺したと。
 こっちは鬼婆。
「小僧、まだか」と言うと、ベロベロは「まだだ」と言う。そのうち足の糸縄解いて逃げたと。あんまり「まーだまだ」と言うので、鬼婆が厠を見たところが、厠の中さベロベロがいて、「まーだまだ」と言うこと解って、小僧を追かけたと。鬼婆と小僧の足では違うから、たちまち追付かれてしまった。初め小僧は白い紙投げた。そうすっど砂山が出た。その砂山を登んべとして、崩れ、登んべとして崩れして、ようやく登り越して、また追付かれそうになったと。そんで青い紙投げた。目の前さ、すばらしく大っきな川が出来た。またその川をじゃぶじゃぶこいで、また追かけてきた。
 その頃、夜もほのぼのと明けて来た。陽が出っど、鬼もすくんでしまうのだと。んだもんだから一生懸命追っかけたと。そうすっど、最後の切札の赤い紙を投げたところが、目の前さ火が出来た。ようやく小僧は寺の門さ辿りついて、門の陰さ隠っだ。鬼婆も門まで来たが、寺に入らんねがった。そんで門の陰さ隠っでた小僧の片耳とって食ったきりだったと。その物音したもんだから、和尚さま出てきて、鉄杖で、
「ここはお前の来るところでない」
 と、鬼婆を叩いたところ、鬼はちりぢりと溶けてしまったと。
 小僧はそれから、その寺でみっちり修行して、立派な和尚になったと。

 三枚のお札の昔話は大抵五月節句の菖蒲の話と結びついて語られるが、この話はそうではなく、またお札も白い、青い、赤いお札となっていて、ちょっとニュアンスが異なる。「ベロベロの神様」とは幼児の遊びの一つとしてもあったということは興味がある。
(椚塚 佐藤宇之助)
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