12 篩(ふるい)借り

 むかしあったけずまなぁ。
 じさま、庭掃きしてで、豆一粒拾ったと。そしてその豆半分は種子、半分は黄粉(きなこ)と分けて、そいつをカラカラと、茶焙(ほう)じで豆炒(い)ったど。そして黄粉になったげんど、それをふるう篩なかったと。篩借りに行ったれば、
「篩借しておくやい」
「子どもいっぱいいるもんだから、喧嘩してみなぼっこして(こわして)ない」
 と言わっだずも。
 そんでその隣さ行って借りんべと思ったが、そこにもない。どこさ行ってもないもんだから、
「ほんじゃ、仕方ないから、じさま褌のはしででもさんなねっだな」
 と、褌のはじを出してふるったど。その時、じさま、ブッーと屁たっだずも。そしたらその黄粉みな向いの山さ飛んで行ったずも。そうすっど向いの山さいたキジは黄粉見つけて、
〈ケンケン、ゴドゴド
向いの山の松の木さ
うまいもの くっついた
ケンケン、ゴドゴド
うまいこと ゴドゴド〉
 とみな黄粉なめてしまったど。とうびんと。

 昔話にはそれを聞く子どもの年令に応じた唄が入るものであった。幼年期の昔話の一つがこの「篩借り」で、笑話の形式であるが、笑話であることを知らずに聞いたものだという宮原の山崎みやのさんの話から想像して、三、四才の頃の昔話と考えられる。
(大橋 川井遠江)
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