32 鷹ときじ-法話-

 鷹が一匹のきじを追いかけて飛んできたど。そこをお釈迦さまは十法戒の一番 大事な殺生戒を考え考え、お空を眺めっだところが、やっぱり一匹のきじに一匹 の鷹がおそいかかってきて、
「あらら、すでに鷹にいま少しで追いつめられっど、とっ捕えらっで結局鷹の餌 になるんだ、むごさいもんだ」
 と思って眺めっだところが、きじがお釈迦さまをめがけて、命拾いにお釈迦さ まにすがりついたど。したところぁ、
「いやいや、おれんどこさ来たごんだか」
 と思って、きじを救ったどこはええがったげんども、ほこさ鷹がとびついて来 たわけだ。そんで、きじが言うには、
「どうか、この鷹に食われっどこだから、お釈迦さま、この場、何とか助けても らいたい」
「よし、そいつ分かった」
 そうしたところが、あいもなく(すぐさま)鷹がとんできて、お釈迦さまに、
「おれどこさ、そのきじ渡してもらいたい」
「いやいや、そうはさんねんだ。このきじを渡せばお前はこのきじを食ってしま うべ。そういうことをしては、結局お互が生きものというものは、お互に命をと るということは悪いことだから、そうさんねぞ」
 そうしたところが、鷹が言うには、
「そんじゃ、お釈迦さまの言うことはもっともだげんども、おれはつまり、そう いうものを食って生きんなねものだ。そいつお釈迦さまに、殺生戒というものは 禁じらっでしまえば、おれが死んでしまう。ほんじゃお釈迦さま、おれのとこ助 けてもらいたい。腹へって、そいつ食ねげれば死んでしまう」
 と、お釈迦さまも、一方助けっど一方死んでしまう。釈迦というものは自分が 本当に殺生戒を実行できるかと。そうすっど、お釈迦さまは両方殺さんね。そん で、
「おれは、股の肉をそいで上げっから」
 て、鷹に股の肉を与えたど。鷹も生きられれば、きじも生きる。そこでお釈迦 さまは本当に殺生戒を守りぬいた実行の人だったど。
(斎藤捷太郎)
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