民話のこころ -(3)お糸唐糸-

海老名ちゃう
 むかしあったけど。
 お糸と唐糸という姉妹、お糸という者は姉で、かかは早く逝くなって、そして継母をもらって唐糸という娘をもって、なんとかしてお糸を家さ置きたくなくて、何してもかにしても、お糸という者を使って、ああだのこうだのって、いじめっけんども、他さ行かねでつとめて、そんで唐糸とうんと仲よくて、あるとき、何とかこれを生埋めにして呉(け)るほかてないと思って、継母が山さ連(せ)て行って、箱さ入っでなぁ。
 そん時、唐糸は姉さケシの種子をあずけて、
「ずうっと撒いて行ってけろ」て言うから、箱の中からボロボロ、ボロボロとまいて行ったど。そしてケシの花をたよりにして山さ行ってみたらば、箱さ入ってだ。「姉さ、姉さ」て呼ばったところが、姉さ出てきたど。
「家さ行くじど、こういう風になっから、どこかさ二人で行って、どこかで働いた方がええか」て、行って二人で逃げて、そこから行ったど。そしてまず二人で働いっだところぁ、おどっつぁんが旅して遠(と)かいどこさ行った後だったど。そして帰ってきてみたらば娘がいないもんだから、こんどは子ども探(た)ねに、自分が泣き泣き騒いだもんだから、目も悪くなって見えなぐなったど。そして、
お糸唐糸いたならば、
この目はパッチリ開きましょう
 て、ずうっと騒いだど。
「何か面白いこと、お糸唐糸なていう、何か、こりぁ何だべ」と思って、二人で働いていた家から出はって行ったところが、親は着物でも何でも、ボロボロな着て、髭は生(お)やす、髪はボウボウ、本当に見立てのない、そして「お糸唐糸いたならば、この目はパッチリ開きましょう」て言うもんだから、ずうっと騒ぐどこ見たど。
「これは、おどっつぁんだ」というもんで、両方からこういう風に、「おどっつぁん」て言うたどころが、
「その音は娘だ」ていうたら、目はパッチリ開いたど。
 それではぁ、天竺さ三人で飛んで行って、三つ星になったど。三つ星ざぁそいつだど。そして三人が仲よく星になったど。おどっつぁんが真中の星だど。どーびんと。
 文字にしてしまったものには、うるおいがなく、語りのニュアンスは失われてしまうのであるが、それでも連綿体とでもいえる語りは十分に読みとれる。あたかも民話の情景が一連のドラマとなって次々に目の前に展開されてくる感じが語りの中に見られる。そして聞き手が入れる相槌によって、ゆっくり、時には流れるようにという具合に、そしてまた強く弱く、感動をこめて語られるのである。
 民話が語り伝えられるとはいっても、聞き手の条件がそろっていなければならないのは当然である。民話も大きく分ければ動物が主に登場する『動物昔話』から「花咲じじい」やら「食わず女房」などの『本格昔話』といわれるものや、ひょうきん者や智恵者が主人公となる『笑話』から、その地方地方で活躍をしている人物などについた『世間話』から『伝説』までが語りの中で現われてくる。しかし聞き手の成長段階に応じて語り手も配慮をくわえることになる。
 大抵は『動物昔話』から始まる。何度聞いても飽きることがない「いたちとねずみの寄合田」の話などは、いたちがねずみを食うようになった理由を説明しながら、同時に幼い子どもには諧調な子守唄でもある唄がさしはさまれている。むかしの宿場町であり、赤湯温泉の入口にも当っていた南陽市大橋で聞くことのできたものである。
(海老名ちやう)
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