民話のこころ -(2)山姥から宝をもらった話-

海老名ちゃう
 親孝行な娘がいて、親は病気して、どこそこの清水飲みたいなぁと言わっで、
「ほんじゃらば、おれは何とかしてその清水を尋ねて行って汲んでくる」
「そんならば、まず、何か菓子でも呉れてやんべ」と、親からお菓子もらって行って、
「ここから行ったらばなぁ、清水はこっちの方さあると言ったでないかなぁ」と思ったば、とてもきれいな冷たい水ぁあっけど。
「まず、これ汲んで行ってあげたら、病気も治んべ」と思って、まず水汲みしったところぁ、年寄りな婆さんが棒ついで、
「水汲みか、おれぁ腹減ったから、お前、お菓子持った、そいつ半分分けてもらいたい」
「はぁ、お菓子なの上げるとも」と、自分が食ったところだけとって、そしてその婆さんさ上げたところぁ、
「お前どこさ宝を上げるぞ。髪の中さ宝いっぱいしまっておくからな、お前欲しいもの、髪とかすと何でも出てくんぞ」
「いやいや、ありがたいごんだな。そがなことになっていたもんだべかな」と、家さ来て、
「親清水はあそこだごんだ」と言わっで、まず汲んできたから、あがれと言うたら、親は喜んであがったところが、だんだん勢いついて、何食ってみる、かに食ってみると丈夫になった。
 その話を、隣の友だちは聞きつけて、親がお菓子あずけてやったところが、やっぱし婆さんがまた来たっけ。こいつだなと、自分がお菓子食ってだどこさ婆さんが分けて呉れないかと、
「腹減ってたもんだから、呉れらんね」
「ああ、そうか。お前どこさ、そんじゃらば、とんでもないもの授けっぞ」と言わっで来てみたところが、やっぱし髪とかしてみっど、シラミなのばりで、隣というじど、宝石落ちてきたとか、いや、何とかいう。そしてこんど殿さま聞きつけて、
「その親孝行の娘をかかえたい」と。そして喜んで行く途中で、
「おれも来いと言わっだ」と、一つに娘がのって、そして舟さのって、その親孝行の娘をおっつけてやって、自分がのって行ったらば、
「ほんじゃらば、こっちさ来て、こうして呉ろ」なんて言うたって。
 なかなかすえないという、何ともまず。お給仕しろなて言うたてわかんね。あんまり髪もちゃもちゃだから、梳(と)かせなて言うたて、シラミいっぱいこぼれて、こげな者、何者なんだかと言うて、
「何か、羊の番でもさせるほかてない」と、小屋さやって、羊の番させているうち、こんど前の娘が川から上がって助かったという話聞いて、その娘がまた呼ばらっで行ってみたところが、全くええ娘で、何させても何でもござれ。そうして宝物は頭から出るというはなしだ。
「こがえな宝の娘もらいたい」と言うたら、
「そがえな、ええどこでない。王女になのなるごんだら、ありがたいごんだ」と、さっそくそこさ貰らわっで、親も安泰してええあんばいに暮したど。人まねしたってわかんねから人真似しないこと。
(「牛方と山姥」より)
 海老名家に嫁してから七人のお子さんを育てあげた嫗であるが、子どもたちを「財産のない家では、子どもが財産であるから、子どものためには、どんな苦労をしても、世間から笑われないように子どもを教育するのだ」といっていたと、五男の海老名照夫さんが回想していられる。そしていまわしい戦争に出征する子どもたちに、達者で帰ってこいと言いながら、「母の五ヶ条」を美濃紙に、握ったこともない筆書きで与えたという。小学校を四年しか行っていない母がよくも漢字まじりの毛筆でこう書いてくれたものと、長男の正二氏は中国戦線の間じゅう背ノウに大切にしまい込んでいたといい、それが生きて帰ることができた最大の理由であったかも知れないと述懐する。
一、心を正しくし、人に笑われるような行動は慎しむこと。
一、人間と生れた以上は世の中の人のためになる事をするよう努力する事。
一、一日の行動を常に反省すること。
一、酒をのんでものまれるな、女に注意し、そして人の悪口をいうな。
一、健康であれ。
 ちゃうさんはこうも語る。
「長寿の秘訣は働くことだ。集まってお茶飲みなど好きでなかった」
 そして八十才をすぎた現在も、伝統の長井紬を手ばたで織って、子どもの嫁、孫の嫁に一反ずつ分けてやるのだといっている。紬は着れば着るほど光沢が増してくる織物であるが、それにふさわしい嫗の生活の姿は、民話の語り手というもう一つの典型を示しているといえる。
 海老名ちゃうさんの民話の語りは、数が多いというにとどまらない。柔かい語り口は、よく「お糸唐糸」にも現われている。
(海老名ちやう)
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