木小屋の生活(1) -(1)取り子のこと-

 十五才になるとき、泉額寺さ行ってお詣りするには行をした。その寺さ泊って家さ全然来らんねっだな。取り子の決めようによって、「十五才にお詣りに行んから、それまで取り子にして呉ろ」て願うわけだな。体弱いと丈夫になるようにてな。そしてそこさ二週間オコモリして、仏壇の飾ったどこさ寝泊りして、朝げと、御飯食べっどき、必ず水垢離とんなね。明神さまの脇に、水出る大きな清水あったもんな。そこさ行って毎日裸になって御飯食べっどき水浴びしてよ、そして御飯食べんのよ。
 水垢離とってからは便所さ行かんねの、御飯終るまで、もちろん生(なま)ぐさも食んねしだ、御精進で。そして二週間オコモリして、毎朝行(ぎょう)よ。お経読んで三十分ぐらい。季節は秋だったな。人によって違っていたげどな。そのあたりの法印さまは代参というて、一月に一回ぐらいずつ湯殿山さお詣りに行ったもんだな。
 そんどき、その法印さまさ従(つ)いて、お詣りに行く人いるのよ、そうすっど行(ぎょう)しんなね。朝昼晩、冷(つ)ったかったな。まず慣れねうち、寒いときは本当に寒いがったな。毎日だから誤魔化しさんねがった。まだ十五才だから真面目だから、そんな誤魔化すなんていう気あったもんでないからな。そしていよいよお詣りに行ったよ。あの法印さまという人は堅い人で、カイシュウに泊って、シズに泊って、そしてお詣りに行って、シズさ泊って帰って来たけな。
 取り子にしてもらって、年明(ねんあき)の年にお詣りする。三つか二つのときに弱くて、とてもこの子はなかなか育たねとか何とか親が思った場合に、法印さまさ頼んで取り子にしてもらう。そうすっど毎年米の一斗五升ぐらいずつやるソな。そうすっど権現講があって、そいつ持って行って昼御飯御馳走になって、毎年御馳走になって来たものよ。むかしは相当にあったし、金のある家なのは、体弱くなくてもそういう人あったな。
 ここの日蓮宗の本朝寺も取り子してもらう人があったげんど、ここはお詣り(湯殿山)に行くなんていうことはないな。
(飯豊町椿 佐藤さん聞き書き抄)
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