81 石堂丸

 むかしあったけど。
 むかし、加藤左エ門資氏という人ぁ、侍はどうも人を殺したり、出世や何かでいろいろのことで、嫌(や)んだくなったど。
「おれは世を捨てて和尚さまになりたい」と、こう思ってはぁ、妻や子に教えていれば止められると、そう思ったもんだから、誰にも教えねではぁ、そのまま高野山さ登ってしまったど。そして刈萱と名前変えて、和尚さまになってあったど。それを風の便りに奥方聞いで、石堂丸という子どもつれて、旅かさねで探して行ったど。そして高野山の麓近くまで行ったども、慣れない旅なもんだから、母親は体こわして病気になったごんだど。そうして、どうやら宿屋さも泊らんね、路銀もなくなったども、親切な家あって、そこさ泊めてもらったど。そして、
「ここから先、高野山は女人禁制で、とても、治っても登らんね」
 て教えらっだごんだど。んで、石堂丸ぁ、
「おっかさん、おれ行って見てくっから、それまでに元気になってろよ」
 て、そう言って、石堂丸はとぼとぼと一人で登って行ったど。高野山さ。そうして登って行ったら、なんぼもお寺もあり、和尚さん方もいるごんだずも。んだども、一人の和尚さんを、袖おさえて、
「近頃、和尚さまになった人で、刈萱という和尚さま、知ってござんねが」
 と聞いたごんだど。「今、同心の方で…」と、こういうたど。
「昨日剃った今同心、一昨日剃った今同心、そんなこと言うたて、分るもんでないぜ」
 て、こう言うごんだど。
「いや、わたしの父親は加藤左エ門資氏という名前の人であったども、御存知ならば教えてもらいたい」
 て、そう言うたど。そしたらその和尚さま、しばらく考えてであったども、
「そんなような和尚さまだったら、最近逝くなったであんまいか」
「逝くなられたようだら、その墓でもええから、会わせてもらいたい」
 て、石堂丸はそう言うたど。そうしたら、お墓さつれでって、また石塔も建たないお墓さつれて行ったど。
「これ、その方のお墓だと思うから、よっくど拝んで帰って、とてもあれなんだから、お母さんと家さ帰って、お母さんに孝行して暮した方がええ、そう思う」
 て、さとして、そうして帰したど。石堂丸は泣き泣き帰ったど。とぼとぼな。そしてその刈萱も涙を袖で拭いでであったどな。そしてどうも本当だか嘘だったがていうような、疑問も持ったども、石堂丸は戻ったど。そして戻ってみたら母親は死んでであったずも。そしてはぁ、泊ってた家も親切な家なんだからはぁ、ねんごろに葬って呉っであったど。そしてその墓の土を一握り持(たが)って、また父にも会えず、母に死なれ、とてもおれも生きていらんねと、おれも和尚さまになんなねと、そう思って、石堂丸もまた高野山さ再び登って行ったど。そうしてこんど、その前教えてもらった和尚さまを探すと思って、一生懸命で寺廻ってその和尚さまを探し当てたど。そして、
「和尚さん、和尚さん、里さ出て降っでみたら、おっかさんが、とうに死んでであった。仕方ないから、土一握り持って来たから、あの墓の傍さ埋めて、おれを弟子にして呉んねが」
 て、そう言わっだど。そしたら、こんど、「あまりええ」て、そこさ、やっぱり埋めて、自分の弟子みたいなことにお寺さ願って、小僧にして、ともども和尚さんになってあったど。そしてはぁ、後では親子の名のりはしたそうだども、それまで悟りを開くまでは、他身で暮して、過してあったけど。むかしとーびん。


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