74 おりや峠

 むかしあったけど。
 むかし越後にお里乃という娘がいて、そこの家で、蛇漬けて、そして、「三年経(た)たねば食うな」て、カメさ味噌漬にしておいっだって。こんど少しずつ食べさせたど。あまりうまいもんで、家の人のいない後に、その味噌漬少しずつ食べ食べして、カメ一つ全部食ってしまったど。
 こんど喉乾いで、かわいで、とても汲んで飲んだんでは足んなくて、入り水の桶にかぶついて、そして水飲んでも、そんでも足りなくて、手前の川さ行って、川さ入って水飲んだど。そしてるうちに大蛇になってしまったど。そして川にいらんねために、大里の山に入り込んだんだど。そしてそこの山を七回り半巻いたとき、一人の坊さんがその山道通りかがったど。そして夜になっても、盲目なもんだから、越すべと思ったども、とても途中まで行ったら疲れたし、さびしさも来て、道側さ腰かけて三味線ひいて唄うたったど。そしたらその蛇というものは唄がなんぼか好きで、そしてまず、坊さんのことだから、ええ女かわるい女か分らねども、まずええ女がでてきたそうだ。
「坊さま、坊さま、おれ唄が好きなもんだから、いま一つその唄きかせてくろ」
 て、坊さまがまたその唄聞かせたそうだ。そしたば、
「坊さんが誰にも言わないごんだら、おれも素性をいう」て、
「おれは、実はこういうわけで大蛇になってしまって、この山、七巻き半まいたども、十二巻きまけば、関八ヶ谷、水の海にしたいと思ってる。んだども、おれの体には一番わるいのは、鉄だ」
 こういうたど。
「だが、人に話せば、あなたはすぐ死んでしまうぞ」
 て、そういうたど。その坊さまは誰にも言わねごとにして降ったど。そして下(しも)関の関三左ヱ門さまという大地主さまさ泊めてもらったど。
 血相かえて、その坊さま、そして、
「村の衆を集めてくろ。おれ話終れば死ぬべから、片付けてもらわんなねし、聞いてもらわんなね」
 そして、こういう蛇が七巻き半まいてるそうだから、十二巻まけば、関八ヶ谷海にするからというから、どうか早く退治してくろ。ていうたって。言い終っど坊さまはすぐグンと死んでしまったど。そして、その坊さま祀るために、座頭の宮というお宮建てて、今でも杖も笠もあるそうだ。そして、
「蛇の体には鉄の錆は一番毒だ。そういうごんだ。それから栗の木の、栗の渋も毒だというごんだから、それらを持って行って、打ち込んだらええべ」
 て、こう教えて死んだそうだ。そして村人たちがみんなで杭を作って、山さ行ってみたば、一樽もあるようなの、巻いでであったど。そして、てんでんに杭を打ったそうだ、その蛇さ。そしてその蛇が七日七夜苦しんだって。そしてこんど尻尾落して、パチャンパチャンていわせて、その地名が太内渕、そういう風に今でも地名あるど。そして関八ヶ谷、助(たす)かてあったど。そんで恩返しに、今でも祀られっでるど。むかしとーびん。


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