73 百子沢

 百子沢というどこに、むかし、なんぼか旦那さまで、与惣左ヱ門という家あったけど。そしてはぁ、さまざま立派な道具ばり持っていっども、その家でも南京焼の皿、十。なんぼか大切にしてしまっていで、珍らしいえらいお客さま来たときばり使ってだんだど。
 それ、こんど遠くの方から、立派な珍らしいお客来たから、その皿出してきて、今夜使って、そして何御馳走したんだか、その皿使って、そしてお賄いして、奥さまは休んだじし、後仕まいに、お花ていう気立てのやさしい娘来て、手伝っていたなはぁ、なじょなか、手はずして、一つこわしてしまったけど。そしてお花はそれ、こんど気の毒がって、拾(とお)そろってたのな、こんど買いかえて、こんな皿は買わんね。ここの家の宝皿、おれ割ってしまって申しわけない。何として申しわけしたらええんだかと思うども、ええこと考えらんねではぁ、その家になんぼか大きな深い池、上手にあったなだど。そこさ沈んで死んでしまったなだど。そんで、晩げ、
「一つ、二つ、三つ、四つ…八つ、九つ」
 て勘定して、一つ足んねもんだから、「一つ、二つ…ええーん」と泣く声すっずもの、毎晩げ、毎晩げ。それ長く続いたど。
 そしたばそのうちに、何だかその池はだんだん育(おが)って、沼になってしまってはぁ、その家建っていらんねぐなって、そしてはぁ、その家は引越してしまったじし、そしてこんどは、その沼はおがるばりだど。沼にはさまざま名前あって、柄杓ずれの沼なても、なんぼか山の奥にある風だし、その「お花」の死んだ沢は、百子沢でも一番大きな沼になって、そしていっぱい沼あるせいか、「百子沢」ていうど。


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