20 五反田の由来

 むかしむかし、徳川三代将軍の家光公が、
「田ていうな、数ばりあったて、米採れるもんでない。大きくするに越したことない。一反歩田作れ」
 て、一反歩の田作ってみた。これぁなかなか調子ええあんばいだった。次は三反歩、次は五反歩ていうな作った。ほして、いよいよ一町歩の田作る。三千刈。
 三千刈の田作ってみたれば、こんどは、こっちの方でそよ風みたいなのが、向うさ行ぐど大浪になって、田植えした後なの、浮き苗なのばり出て、何とも仕様ない。ほして、
「ほんでは半分にすんべ」
 ていうて、仕切って五反歩の田にした。ほしたれば、ようやく大浪も立たねくて、調子ええなぁていうわけで、五反歩の田出来たどこ、今でも江戸には〈五反田〉ていうている。んだから、馬鹿に大きい一町歩なていう田作っても仕様ないもんだなぁていうわけで、江戸には五反歩より大きい田、なかったって。どんぴんからりん、すっからりん。
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