11 豆腐つくり

 むかし、あるお寺の門前に夫婦者の家があったけど。ところがその夫婦者に子ども一人出だけのよ。そいつぁ女の子であったそうだ。そいつは段々と成長して、まず、年頃になってしまったていうわけだどな。
 ところが、その当時は世間から好ましがられるほど旦那でな、そして模範とされるような暮しであったそうだ。何事も家の中でいざこざとか論したなていうことはなくてね、世間からうらやまれるほどの家庭であったそうだ。そのうち娘も年頃になってなもんだから、聟もらったど。ところがもらった聟どのていうのは偉く頭のええ奴でね、そうして何でも知しゃねものないような男であったそうだ。その結果どうしたもんだか、舅としょっちゅう衝突するていうなだな。ところで舅親父も頑固な親父であったがして、
「へつけな聟野郎に、おれ頭押えらっで仕様ない、折あったらば、こっぴどくやっつけて呉んべ」
 て、下心もってあったてなだな。何につけても親父「こうだっけ」て言えば、
「そいつはそうでない、この方が本当でないか」て言うて、親父ば押える。ところがたまたまある日、豆腐買って、豆腐汁、朝食だかにしたっていうのだな。ところがその親父は、歯ないわけでもあったがして、
「豆腐はうまい、買っただけ全部食われる。皮もなければ骨もない。豆腐ぐらいええものない。なんでも駄目なく全部食べられるものは豆腐ばりだ」
 て、そう言うて親父は御機嫌でいだっていうわけよ。ところが傍にいた息子どら、
「何(なえ)だ父ちゃん、豆腐ばりっていうげんど、まだまだある。こんにゃくだって買っただけ全部食べられる。骨も皮もない。油揚げだてその通りだ。豆腐ばりだて言うから、おれは語んのであって、豆腐はええもんだ、こういうもんだって言えば言わねなだ。豆腐ばりだていうから、こんにゃくもあれば油揚げもあると、こういうようにおれは語んのだ」
 こう親父と論判始めだていうのだな。ところで親父だって負けたくないっだしな、
「ほだなこと、そなた語っていっけんども、豆腐の製法は憶えっだか、豆腐のくわしいこと語っけんども、豆腐はどういう具合にして拵えっか、製法知ってる」
 て言うど、待ってましたていうような勘定でよ、
「おれの実家ていうのは、豆腐屋の近所だ。朝晩、子どもの代から豆腐はなぜ拵えっか知ってる」
「ほんじゃ、なぜして拵える」
 そうしたれば、聟どの、
「豆腐ていうのは、豆をうるかして、カタカタして、そうして最後にまとまっどきに糠とか何かで、ゴフゴフといわせて豆腐ざぁなるもんだ。ゴフゴフていわせる」
「なるほど、ゴフゴフだれば豆腐だ。いや、そなたゴフゴフで豆腐になる勘定してっか。おら方ではちがう」
「なぜだ、父ちゃん」
 て言うたど。そしたれば親父言うには、
「豆腐っていうものは、ゴフゴフでも拵うからだげんども、ゴフゴフで拵えた豆腐はあまりうまくない。世間一般に通用にならねえ、どこか足んねどこある」
「ほんじゃ、なぜだ」
「豆腐ていうものは、シフシフて拵うもんだ」
「シフシフでは豆腐になっかい、父ちゃん」
「いやいや、そこばり聞いだて分んね」
「シフシフで豆腐になる。シフシフで八フだ。二つ足んね」
 したれば親父言うには、
「シフシフで、まず拵えたものに対して、それにニガリを入れる。そして始めて豆腐になる。ニガリ入んねぇ豆腐なんて出来損いで販売用にはなんね」
 なるほどこれは全く親父の方優勢になったていうのだな。ほだげど親父と論したて分んね。明るい人さ聞いた方がええんねが、どっちが正しいか聞いてみろて、
「ほんじゃ、寺の和尚さんどさ行って聞いてみたらええんねが」
 ほんで、和尚さまさお使い出して、
「明日の晩、用向きあるから、留守しねでもらいたい」
 こう言うて、和尚さまさ伺っておいっだど。
 ところで、親父も負けっだくない。こっそり和尚どこさ酒一升持(たが)って、
「こういうわけで、おら家の息子と豆腐の一件で論した。ところがシフシフ、そうしてニガリを入れ、そうして完全な豆腐になる。こう言うて呉ろ」
 親父は和尚さ頼んで、ところが息子の方でまた、それより早く、
「こういうわけで豆腐というものはゴフゴフで豆腐になる。これは本当だと和尚さま、どうか言うて呉ろ」
 て言うたど。親父は親父で、息子は息子で、おかしくていたど。そうして明後日(あさって)になるのばり待ってで、二人で行ったってよ。
 和尚はそだなことは初耳だていう格好で、
「なえだ、隣の親子二人で何用あってござったことだい」
 て、和尚はとぼけて話しったど。
「なえだて、この辺では和尚さまぐらい物識りな人はござらねがら、和尚さまの言う通り、和尚さまが軍配あげた方が勝ちということにして、二人して相談して来たんだから、よっく聞いて軍配上げて呉ろ」
 て、こういう具合に前置きして、
「こういうわけで豆腐ていうのはゴフゴフで拵う。親父言うにはシフシフで、そしてニガリを入れて豆腐と、こういう具合でどっちが正しいもんだべ」
 て話したど。和尚はしばらく考えて、
「うん、これは難問だ」
 て、戸棚から本なの出して、
「うん、これは仲々むずかしい問題だ。ここの頁にはない」
 て、厚い本、みなバラバラと開いてみたていうのだな。
「こんどはようやく分かったようだ。ほんじゃ今から言うから、ああだこうだて言うんだら、おれは語らね。おれの言うことにお前だ二人とも賛成するか」
「和尚さまの言うことは何でも聞く」
「ほんじゃ、若い者から言う。豆腐というものは、やっぱりなぜ考えたって、ゴフゴフで豆腐になることには決まっているんだ」
 そしたれば、聟は、
「どうだ父ちゃん、やっぱり和尚さま、世間のこと明るい。誰聞いたて、ゴフゴフで豆腐にならねえなて言う人は恐らくいねなだ。どうだ父ちゃん」
 こういう具合に聟どのは早く勝負きめっだくて言うたど。
「いやいや、待て。父ちゃんの方は豆腐ていうものはやっぱりシフシフでは八フだから豆腐にはならね。ところでそれさニガリを入れれば始めて豆腐はうまく固まるんだ。ところでニガリ入れない豆腐なて出来損いで、販売用にならね。ほだなでは世の中は通らね。豆腐屋ていうのは、豆腐売って生計を立てる商売だ。売んね豆腐拵えたどこで何になるどこだ。貧乏になるばりだ。こんで豆腐の問題は親父の勝ちだ。シフシフさニガリを入れるということは、大抵の人間は考えはつかねもんだ。なるほど〝亀の甲より年の功〟て、こういうニガリを入れることまで知ってる。年功が浅いものは抜けっどこはある。これから何事によらず、お父さんの言うことは何でも聞いて、あまり口論はすね方にしたらどうだ」
 こういうように和尚に言(や)っで来たど。それからと言うものは知ったふりあまりしないで、仲よく暮らしてあったど。
(横尾権次郎)
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