64 俵藤太

 むかしむかし、百足のすばらしい大きな出て、ほして畑は荒らす、人さは害加える何とも仕様ない。
「誰か、ほの百足退治する者いねが」
 何人も、侍、百姓、いろいろな者退治に行ったげんども、ほら、みなほの百足にやらっでしまって、帰って来た者ざぁいね。困ったもんだ、誰か退治する者いねがて言うたれば、藤原藤太秀郷という人ぁ、
「んでは、おれが退治する」
 ほういうわけで、ほして山にある毒草のトリカブトていうなと、サンショ、それをグダグダ、グダグダ煮つめて、弓の矢の先さつけて、ほして行った。ほうしたれば、目の玉光るんだけど。いやまぶしいようになった。よくよく傍まで近づけてから、その毒矢を、ひょうと射ったわけだ。ほうしたればええあんばい頭さ当って、ほしてたちまち火が消えてしまって、ほして七日七夜苦しんだ。とうとう死んでしまった。ほしてはいつの御褒美に、俵米もらった。ほしてその俵さ入った米、
「かいつ、決して底叩くなよ、底叩かねど、いつまでも米がいつまでも出る俵だ」
 こういうわけで、家さ来てあけだ。ほうしたら、なんぼしても無くならね、決して底叩ぐなて()っだから底叩かねでいたれば、同じに米ぞろぞろ、ぞろぞろ出てくる。ほれから誰言うとなく藤原藤太秀郷て()ねで、俵藤太秀郷て言うた。今でも昭和三十年頃までは俵使った。んで俵の底ざぁ決して叩くなよ、て、昔から叩かねもんだ。はいつぁ俵藤太の時からのことだど。どんぴんからりん、すっからりん。
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