3 オト昇天

 秋祭りがくると、オトは五つになる。
 五つになった日に、オトは昇天した。
 お父(とう)が、オトを、目に入れてもいたくないといってるが、ほんとに目に入れたら、いたいべなぁと、オトはあぐらをかいてるお父の足のあいだに、とぷんと入って思っていた。
「なんだか、笛のちょうしも、今年はうまくひびかねぇんじゃねぇか」
 お父はひさしぶりに帰ってきて、晩めしを食い終って、一服つけると、おっかぁに声ばかけた。お父のあごひげを下から見上げたオトは、一本だけひょろひょろと伸びているひげをつまんで、思いっきり引っぱった。
「ウン」
 と、しぶい顔になってから、オトの目と合ったお父の目は、急に笑顔になった。
「んだべに。年貢もまだ終らねぇ家があるでよ、笛吹き衆も三人しか集まんねちゅうごんだ、そう佐助サがいうとった」
 オトは、その三人が佐助サと八郎サと、それから正太郎サの三人だと、すぐわかった。なるほど、オトの耳にも、なるほど息の切れるみたいな、ミミズの泣いてるみたいな、ツー、ツー、ツーとしか聞えない。
 ピクッとお父の体にふるえがきたみたいだったから、オトはお父の顔を見上げた。この前の、部落衆のよりあいに、佐助サが、「おらが迎えに行ってくる。おらぁにヤマ行者さまを迎えにやらせてくろ」といって、お父が腕ぐみしたときの顔つきと、また同じになったように見えた。
 
 秋祭りにゃ、ヤマ行者さまがやってくる。ヤマ行者さまのあぐらは、お父のよりもふかふかして、きもちがいい。お父のようなひげがなく、いい匂いがする。変てこりんなカタコトでしゃべりながら、オトの頭をなでてくれる。
「オト殿いうたか。大きなって、日本のかかさまになりなされ、早く大きなって日本のかかさまになりなされ」
 オトのかみの毛ば、でっかい白い手でなでてくれる。でっかい大きい白い手だ。それにお父の手みたいに赤ぎれなどなくて、ぷっくりしてる。
 禁制になったキリシタンさまを、秋祭りの村中のにぎわいをうまくつかって、村の衆がよぶようになったのは、いつからか知らないが、オトには何となくわかっていた。
「早くねろよ、子どもが早くねねぇど、山から白いんこがくるでぇ、山につれていかれるどぉ」
 おっかにいわれて、オトは寝床に入ったが、目はますますさえてしまった。
「んだ、お役人に佐助の顔は知られているで…」
「笛吹きの佐助が舞台にいねぇでは、すぐお役人がさわぐべぇよ」
 静かだが、いろりのまわりにある熱気をオトは感じとっていた。庄屋の五兵衛じいの声だ。
「なあ、佐助でなくて、だれかおらぬかのう」
「ほんだずな」
 あいづちはお父だ。
「ただな、何も知らねぇ行者さまが、秋祭りの笛や太鼓で部落におりてきたら、困るでなぁ」
「うーん」といったきり、いろりの方からは音がきこえなくなった。オトは目をつむった。
 まっくらな中で、ふたたびオトが目をさましたときには、押しころしたうなりが、地からひびいてくるような気がした。だがそれがキリシタンのお経だとわかると、オトはすぐ口の中で、その後をついでみた。
 
   万事かない給うデウスをはじめたてまつり、
   いつもビルゼンのサンタマリヤ、サンミゲル、
   アルカジョ、サンジュアン、…。
 
 おっかはときどきまちがって、言葉が口の中にもぐるし、お父は大きい声で別のことをいってしまう。オトは体が温(あっ)たかくなる。「オト殿はうまい、きれい声だ」と行者さまから、ほめられたことを思い出したからだ。オラショにはいろいろあるが、「食後のオラショ」がいちばん、オトの好きなオラショだ。だって、「食前のオラショ」は腹がへってるときだから、ついいそいでやってしまうから。腹がへるってのはやっぱり困るなと思う。
 それでも、ちかごろ集まるときまって「あやまりのオラショ」ばかりやってるのは、きっとお父がへまをやったんだろう。
 ところが、今晩は、いつまでもいつまでも、「あやまりのオラショ」をなんどもなんどもくりかえすだけだった。
「佐助がだめなら、おらにするべぇ」
 と、お父の声がした。
「そりゃ、高持百姓惣代がいないんじゃ、役人よりも村の衆がさわぎだすべ」
 これは五兵衛じいだ。
「オトはまだ子どもだしなぁ」
 急にお父の声が弱々しくなって、だまってしまった。オトはそのとき、障子に紫色の光を見た。それが金色に変ったように思った。その光がオトの方に近づいてくると、オトの下腹に力がこもるみたいだ。
 
 夜祭りの晩は急に寒くなった。太鼓と笛のひびきは陽気だ。
 オトもおっかとお宮さまに行った。長い石段を下から見上げると大きな太鼓の音が降ってくるみたいで、そいつにしぜんと足が合ってくる。ドンドンと鳴るとちょこちょことオトは石段をのぼった。みんなで九十九段、この中休み場まで六十三段だから、もう何段のこってるだろうと、頭の中でかぞえると、きゅうに太鼓の音がにぶい音をのこして鳴りやんだ。かわりにあおい顔の部落衆がどどどどどおっと石段からあふれてこぼれてきた。その後を赤ら顔の役人がぞろぞろとやってきた。
「どけ、どけ!じゃまする奴はひっとらえるぞ」
「佐助はどこだ」
「この奴が祭りのさわぎのうらかいて逃げようとしたんだ。番所の目ごまかそうとしたんだ」
 勝ちほこったお役人は部落のひとびとをみかえした。オトはお役人の顔に赤鬼をみた。オトには佐助サがヤマ行者さま迎えに行って見つけらっだんだと思った。
「なら、そいつ知らないヤマ行者さまが、のこのこ部落さ降りてきて、あの赤鬼の役人につかまってはいけねぇ」
 オトの心臓が急にドキドキした。
「おらも、もう五つになったんだぞ」
 オトはぎゅっと口びるをかんだ。
 
 オトは走った。行くさきざきで、ぼぉっと道が明るくなる。オトは走る。オトの行くところは草がなぎたおされているように、道がひろがる。オトは走った。山道の石はきれいに敷かれていて石畳みたいだ。オトはまた走る。星空がみえた。山の木の間から、大きい星が山頂をてらしてくれた。ヤマ行者さまのいられるのは、あの山の神のほこらだ。星がいちだんと輝いた。
「ヤマ行者さま、オトがきました。オトはもう五つになりました」
 ぎいっと山の神のほこらの戸があいて、ヤマ行者さまはこっちを向いた。「おう、おう」とヤマ行者さまが手をあげた。オトの目の前にいくつもいくつも花火が散った。
「佐助サがくることになってたども、役人につかまったから、オトが迎えにきました」
 オトの体は、ヤマ行者さまに近づくと近づくほど、あつくほてってくる。体から花火がパチパチなった。
 
 大きい流れ星が一つ東の空に流れた。
 神さまにめされたオトは流れ星になって空の向うに消えた。
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