安楽城の童謡・追記 おぼこ遊ばせ唄

   いない いない バァー
 おそらく幼児(おぼこ)をだます(...)(遊ばす)のに誰しも最初にうたい、しかもおぼこ(...)の一番喜ぶ唄かもしれない。それにおぼこは鳴物が大好きで、アンヨもハイハイも出 来ない時分から、手を拍ったり、口を鳴らしたりして、音を立ててあやすといきり立って喜ぶ。
 強く舌打ちすると、タンタンと快音がとび出るが、唇を軽く閉めて、息を吹き 出して唇を震わすか、肌に唇を触れて息を吹くとブーブーと振動音が出る。おぼ こは歯の生え際によく独りでもやることだ。舌を唇の間から一寸だけのぞかせて 横に素早く動かし、同時に息を吐き出すと、気の静まるレロレロである。このような唇や舌の操作に指を工面して使えば、いろんな擬音も出来るし楽しめる。やがておぼこも成長して学校に上る頃になると、自分でおそぶえ(....)(口笛)を覚える。
 これは根気強く修練を積まないと上達しない。初歩のうちは周りの人達にうるさがられ、「家(え)ン中でおそぶえ吹くど、貧乏神呼ぶ」とか「化物が来る」などと嫌 われ、殊に夜の口笛は盗人の道案内だと言って忌嫌された。また「女の子がおそ ぶえ吹ぐど、てんど(...)悪ぐなる」、つまり手さき仕事が上達しないとて、女子の口笛 は端ないものと強くいましめたものである。その代りか、女の子にはほおずき(....)が 与えられた。
 ほおずき(....)は種子や核を除って上手に吹き鳴らして遊ぶだけでない。着せ替え人形にしても遊んだ。それに冬場の草花の無い時の仏さまの供花としても丁宝にされたし、乳腫らしの良薬として、また神経痛にも特効ありとして保存して用いられたものである。
 だから晩秋、ほおづきの果が袋まで赤く色づくと、枝がらみ採って、そこの家では恰も女の子が居る標(しるし)のようにして軒端にさげる。それでも何故か屋敷内にほおづきを植えることを忌嫌い、堰一つとんでも屋敷を外して植えろとされたもの。
 ほおづきさらしと言って、種子や核を除るのには、まず口の中に実をふくんでしめりをくれてから、手のひらで軽くもみもみ(....)をする。その時に上手に核が抜け出るようにと、お呪いを唱える。
   ほんづき ほんづき
   さらさね とれーろ とれろ
    (さらさね うけろ(...)うけろとも)
   ほんづきねっこ つーけつけ
   たねよだ うぎろ(...)
   ほんづき ほんづき
   うんめ うんめ
   ベロベロ カベロ
   ほんづぎねっこ つーけ
   からさね つーぐな つぐな
 口で吹いて鳴らすものを、幼児語でピッピーと呼んだ。その音色は奇妙に人の 心を浮立たせ、耳に入ると、じっとして居られなくなり、何か踊り出したいくらいの気持に浮かれて来る。横笛でよし、呼子(よびこ) でよし、ピッピーは幼児誰も憧憬を もつもちゃすび(.....)(玩具)である。村祭りの時に露店をさがして一番先きに買い求 めて満足するのはピッピーだし、小学校低学年の遠足で町に連れて行かれても、 少ない小遣いをさいてまで求めなければ心納らないのがやはりピッピーで、とに角、子どもには並ならぬ魅力あるおたから(....)であった。
 野や山での自然との遊びの中にも、季節によっていろんなピッピーを工夫した。 雪が消えたばかりの田圃の畔際に生える雀の鉄砲(....)も手作りのピッピーにされ、同 じ頃清流や湧水のほとりに出るいり水花(....)は海ほおづきのように鳴らしたものである。
 野蒜(ひろこ)も二、三センチほどにもぎとって、節をつけて吹き鳴らすとよい音を出す。 韮の葉も五ミリ程度おきに区切り、わたを除って、これを横に両唇にはさんで吹き、韮ハーモニカと喜び、大蒜ラッパは大蒜の葉を晒して吹くのだが、晒す際の唱え唄は、
   とれろ とれろ 臍の緒ァとれろ
 同じようにして、葱の葉でもラッパが出来る。
 虎杖(いたどり) をドングエと言って、若いうちは柔くて塩をつけて生食出来るし、保存食 の青漬に採っておく家もあるが、これもおもちゃ笛で遊べる。笹や芦の若葉をクルクル巻きにして継ぎ足すと、角笛が出来る。椿を初め青樹の若葉を唇に当てて上手に吹けば素晴しい草笛である。小鳥の卵のような形をしている雀太師(...)は蛾の抜け口で、口に当てて吹けば、これまたいい音を出す。
 二枚貝の貝殻を合せ、蝶づがいの所を砥石で摺って作る貝笛もいい。お祭りの 時に蛤の貝殻に詰めた薄荷糖を買い求めるのは、その甘味にひかれるばかりでな く、飴をなめあげたら貝笛にしたいからでもある。竹笛もおもちゃとしての音色 なら子ども手作りでも充分である。指笛、手笛は却々の熟練もので、誰にでも出来るという技ではない。子供の時からの修練で、それがうまく出来ると大人になっても特技として大威張出来る場合は何度もあるものだ。

 生後幾月も経たないおぼこ(...)が何を夢みたか、ほのかな笑顔をのぞかせることが ある。それがイナワライと言って、「母胎にある時に栄養の充分な子ほど早くから 笑うものだ。大きくなったら愛嬌者になる」と、年寄は喜び、まわりの者は何とかして笑わせようとご機嫌をとって、頬に触ったり、くすぐったそうな所をコチョコチョ突ついてみたくなる。それがだんだんに物心がついてくると、おぼこのあ やし方もペットに芸を仕込むように手がこんでくる。
   頭テンテン ちょちちょち アワワ
   とどめとどめ けぇぐりけぇぐり スペーン
 子守がおぼこの両手に手を貸して、「頭テンテン」で拍手、「アワワ」でその手で口をおさえて声を千切り、「とどめとどめ」は一方の手のひらを他方の指で突つく。「けぇぐりけぇぐり」は両手を車の翼をまわすような形に回転させ、「スペン」でその手を伸上げて、万才のポーズをとる。歌の調子と変化にとんだ仕草でおぼこは大喜び、人によっては斯うも歌う。
   ちょち や とどめ
   けぇんぐり や
   ぼほーち シッチ ベーン
   ちょち や おぼこン
   けぇんぐり とっどのめ 
   ちょきぱき ポエン
 次の唄は子守が百面相を作って、ぐずるおぼこ(...)の機嫌をとり結ぶ。
   あんがり眼 下ンがり眼
   ぐるっとまわって ちゃこ(...)の眼
 左右の人差指で両の眼尻をおさえ、唄にあわせて上げたり下げたりして、やがて指の先を使ってくるくると廻して眼尻を寄せて面相を変える。「チャコの眼」で「ニャオン」と猫の鳴き真似をして顔を突き出す。おぼこが成育 (おが) て自分の手でそ れが出来るようになると、二人向き合って笑わせっこなどして遊ぶようになる。
   あんぐり(口) すっくり(鼻)
   くりくり(眼) 毛ン虫(眉)
   栗の木林の(頭) 茸(耳朶)
 歌に合わせ指先で軽くおぼこの顔を撫でさすってあやすが、ややテクニックのこんだのになると、
   松原通って(頭部の頂きにある旋毛あたりに指先を当て、だんだんそれを
    顔の方に下げてくる)
   おう広通って(額を撫つける)
   ままこ(...)を通って(両方の眼縁を撫る ままこ(...)は幼児語の眼)
   びった橋渡って(鼻峯を撫で伝ってくる。びったは低いの意味のペッタン
    コ)
   大池さ落ぢだ。(口の周りを撫でまわしてから口を突つく)
   ― んめぇこ(....)(菓子)などを指にはさんでおき、唄の最後に「落ぢだ」で、
   口の中に放り込んでやると、おぼこは一そうご機嫌である。
   お乳ボンボーン(子守は自分の乳のふくらみに二拍子で軽く手をあて、ボ
   ンボーンで更に肘を交互に打つ)チョチチョチ(拍子三つ) アワワ(両
   方の手のひらを交互に口を塞ぐように唇にあてる)
   頭テンテン(手を頭に交互三回)おわくぐり(肘を曲げた腕を使って、前
   面でかえぐりかえぐりを三回)
   アラきったがやーでば(両手を膝の上にして肩を張っていからせる)カン
   ブカンブ(頭を左右に揺り動かす)
   新し摺臼で 挽き按配がいい
   噛むやら 落ぢるやら ゴーンゴン
   (新し摺臼からおぼこの両手を掴えとって、摺臼挽きをまねて、体を回転
   させる気持で前後左右に揺ぶる)
 このあやし唄は昔はやり節調であるから、子守自身も自分の唄として愛唱したかもしれない。
   あげぇけぇんこ履がしょ
   チョコチョコあゆべ 此処までごんぜ
「美しい下駄こを履がして上げるから、此処まで上手に歩いてお出で」という意味で、一足二足歩を運ぶ歩き初めのおぼこを励す唄であるが「眼がぐし鬼ご」遊びなどでも、鬼になった子のからかい唄にもされる。
   猫はぢょぢょ(....)履いで 杖ついで
   絣の前垂 ちょなくな  
 子守娘は側にいる猫の前脚を掴んでもちゃすび(.....)にして猫踊りをさせると、おぼこは大喜び。ぢょぢょ(....)は草履とか履物の幼語。
 おぼこは授乳の後もなかなか母のふところを恋しがって子守の手に渡されるの を渋ると、子守はおぼこの両腕を掴えてこの唄であやす。ご機嫌になったところをくるりとかわして自分の背に素早く移しておんぶをするのである。

 指遊びは何の道具も要らない。場所もとらない。炬燵や炉端で独り遊びをするにもよい。おぼこの紅葉のような手を使ってあやすのにいい。
   薬屋の前で子供達(だ)喧嘩する
   なかなか止(や)めなえ 人達 見でる
   親達心配する。
   子供ど子供ど 喧嘩して
   薬屋さんとめでも ながながきかねぇ
   人さん笑う 親達ごしゃぐ
 子供というのは小指のことで、薬屋は薬指、なかなかは中指、人達は人差指、 親達は親指のこと。初め両手を合わせ、歌の進むにつれて該当の指を開く。或は 逆に唄の指から起こし合せて行き、終いに拝む形になる。
   長助 長次郎
   酒がええが 餅ァええが
   田楽豆腐で 酒三杯
 あやし唄で、両手使って一句一句交互に握ったり、開いたりして、まわりの見る眼を眩惑させて喜ばせる。即ち片方の手を開いたら前方に突出す。もう片方は人差指を出して、握り開いた手を追いかけるようにさし向ける。それを間違わず に歌の一句毎に指し替えて行くのであって、歌が興にのって早調子となっても間違えないのが上手。

   湯さ入りごんぜ  
   ―― 熱ッが 温(ぬる)いが ぬるいば火焚ぐ
   熱ッげりゃ んめる(...)(うめる)
 両手の甲を重ねたら、小指同志を組ませ、次に薬指、中指二本ずつを揃えて井 桁に組む。下になった手の人差指を上方にくぐし上げ、上方の手の親指、人差指 と三本を三脚にしたところでお風呂が上来あがる。「湯さ入り、ごんぜ」と誘われたら、三本指の間にどの指か一本をさし込む。
 指の絞めつけがゆるかったら、唄の間に「ぬるい」と答える。すると、「火を焚こう」と次第に指先に力をこめ、あげくは爪を立てるほどに締めつける。若し痛さに耐えられなく「熱い」とこぼすと、「…なら()める」といって、たっぺ(唾) をかけられるから、素早く「あがる」と宣言して指を抜きとらないと痛い目にあう。唄につりこまれず「いいあんべぇだ」と、長湯した方が得かもしれない。
   どの指かぐした……高々指どれだ
 片方の手の指を寄せ、もう一方の手で握りかくす。ただ指先が少しのぞきみら れる程度にすかす。どの指か一本だけ引っこめてそれが外から見えないようにし ておいて、それを当てさせる。或はどの指が中指かを言いあてさせたところで握りを解いて当否を確かめる。
 指はそれぞれ細い太いがあって特徴があるが、甲高い指を低くみせたりしてうまくカモフラージュする。子供の指は柔いので固く握ると意外に判らなくて当てっこは興味深い。

 爺さの仕事場は、冬場(ふゆば) は囲炉裏端、火ったりじりである。そこへ童子達が雪に とじこめられて、火が恋しくなると寄ってくる。爺さまは一躍火の番と子守役で大役がかぶさる。あわえ(...)には膝の上におぼこをとらされる。子供誕生の際には麻の葉柄の産衣を着せて爺さまに抱き初めしてもらうのが、この地の仕来りであるから、これとて不似合な図ではない。
 大体、爺さまが童子達の相手になってくれる遊びといえば「木片叩 (こっぱたた) き」とか「だえつ(...)小僧」とか。一見荒っぽそうな遊びである。それでも爺さまに童子をあづけ るのは、多少乱暴のようでも強い子に育って欲しいと願うからであろうか。ゲームなどやって負けた罰を与えるのでも、爺さまは大仰にも大きな拳骨をふりかざし、息を吹きかけるやら、いかにも動作が大きい。でもそれは威すだけで、本当は加減してくれるので、童子たちはおびえず却って大喜びである。
   昔々の宝釜
   小僧小僧 痛えッ小僧 そっと磨げ
   オッスコスッコ…スコセ
 先づ拳で負けた者が炉端のあてぎ(...)(炉ぶち)とか、板敷を直(じか)に下敷にして握った自分の拳をのせる。勝者がそれを拳でもって叩く権利がある。拳が接触する直 前に、叩かれる手を引いて外してもよいから、叩き損ったら仕掛けた方が痛い目 にあう。歌につれ、「スッコ、スッコ」でタイミングを計って「セ」で打ち下ろして叩く。
 簡単に僧小僧痛え、小僧、そっと磨け―と歌ってもやるが、この叩きっく らを「だえっこぞ」というのは「痛え小僧」が詰った訛ったもの。本来は文福茶釜に化けた狸が寺の小僧に力まかせに磨かれては痛いので、「お手やわらかに、やってくれ」と頼んだということから出た詞なので、大人の酒席でよく演じられるこっけいな舞の「文福茶釜」である。
   昔々の文福茶釜 文福茶釜
   あっ小僧小僧 そっと磨げ
   磨けば光る その釜を
   月夜に釜なんか ごめんだ ごめんだ
   耳もちょいと出て 尻尾も出て
   毛も生えたのハァこそこそ逃げたわいノー
 「木片叩き」は二人対峙して片手ずつ出し合い、五センチほどの間隙をおいて 重ねる。手が下前に位した者が隙をねらって、素早くしっぺ返しに上前におく手 を叩きつける。しっぺ返しだから相手の甲を甲の方で叩くから痛さがちがう。叩かれないように瞬間手をひいて相手の失敗を誘ってもよい。勿論失敗すれば交替。
 拳骨遊びに、落雷になぞった「ゴロゴロ、ストン」もある。
   天にピカリ ゴロゴロ ゴロゴロ ストン
 ストンで叩くのであるが、予告の雷鳴ゴロゴロは幾度も繰返して相手のタイミングを狂わせるところに駆引がある。空叩 (からたた) きの場合は交替。三人でも四人でも一 緒になって拳を重ねた上に雷を落しても面白い。

 やがて、おとなしく遊んだ駄賃に、「仲良 (え)ぐ分けろ」といって、何か出たとする。 爺さまへの分配(わっぷ) が抜けたりすると、爺さまはからかって、「こんこもらい」をする。
   こんこもらい こんこもらい 呉んなぇじゅど
   頭さ瘤こ十八出ろ 十八出ろ
 分配の食残しが少なくなってくると、こんどは遊びをかえて、「どの手さ握たが」― 当てたら上げようとなる。それをうけて右か左かの神頼み。
   餅ええが 酒ええが
   婆々サの言う通り
 おぼこは概して祖母さんめご(..)が多い。こんなことにまで祖母さんは信頼をおかれる。

 やがて囲炉裏の温もりで、気持よくうとうとするおぼこも出る。そんな時爺さ まが歌ってくれる子守唄は「雀コ雀コ」ときまっている。爺さまの子ン守はとかく 荒っぽい中にこれは珍しい。里雀に夢を託して百姓の道を語り聴かすのかもしれ ない。
   雀コ雀コ 何ァしてかたがる(....)や(身を傾ける)
   つぼこ(...)(餌)食だくて かたがるや
   つぼこ食だげりゃ 田作れ
   田作っど 足こ汚れる
   足こ汚っだら 沢こで洗えや
   沢こで洗うど 流れるや
   流っだら 葭(よし)の葉さたんぐづけ(.....)(すがれ)
   たんぐづぐど 手ッ切れる
   手切ったら 油こつけで寝ろや
   寝っと 蚤ァ喰う
   喰うごんだら 喰っ潰せ
   喰っつぶすと 苦ンげえ
   苦ンげえごんだら お湯呑め
   お湯呑むど 小ン便ァ出る
   小ン便ァ出っこんだら たっで来い
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