1 雀と燕

 昔あったけど。お釈迦さま亡ぐなた時 (づぎ) な、ほの急知らせきぐど、天下の鳥こ達 まで涅槃会さ駆づげだけど。
 雀なの、お歯黒つけしったけども、ほれも半端してとるものもとらなえで走た けど。
 一方(えっぽう)、燕(つばぐら) じゅものは洒落こだもんで、こげた時ぁ人だがりすんべし、 やっちゃな .... .え(だらしない)恰好して行くど、 さだげなえ .....(恥しい)どごだとて、白粉(おっしょい)つけだり、紅こ塗たくたりして、めがしこんで出がけだどこだど。
 んださげて、化粧さ時間かかて、法会さ間に合わ無えばりが、勿論、お別れの お姿も拝めなぇがったけど。極(きま)り悪りがて周りの人達(ひたち) さ、
   紅、鉄漿(かね)つけで 遅ぐなたじゅ――
 て、んと申訳しっけども、誰も耳かしてくれる者居ないけど。今でも燕の頬さ朱(あか)ぐ紅のあどついでんべ。
 ほげた訳で、えらい方達が相談して後で決めだごとだつけ。まず雀ごとしては 一番先に馳けづけたじゅごどで、これがら人間の住む軒端(のきば)近ぐさ居て、こぼれ殻ば拾て食てもええて許さったど。
 でも、燕ごとしては、遅(お)ぐっだ罰ば冠へらって、殻ば食うごと許さんなえばりが、毎日生虫捕て食(け)て言わったけど。ほれで何時も、
   土食て 虫食て 渋いじゅ――
 て、言て暮すごとなたべちゃ。
 ほればりが、これがら死人あるたびに、欠かさず野辺送りのお伴をするように て、きづく言いづけらったどごだど。ホラ棺の天蓋さ、今でも燕こ こさえ ...で四隅 さくっつけんべちゃ。燕まだ南の国さ行ってて留守してっ時でも、ほん時の言い づけは、ちゃんと守らへらってるどごだろ。 どんぺからんこ なえけど。

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