2 朝茶の功徳

 昔あったけど。或所(あっどご)さ、爺と婆ぁいだけど。家のそばさ大きて大きい松の木生えでいでな、それじゅもの、高砂の爺さまど婆さまの住む家だったふうだ。
 或時、どうしたごんだが、家のまわり一面さ洪水押しよせで、まるで泥海さ浮いでるみでぇなだけど。ほして松の木さば、大蛇(じゃだえ)よじ登って、家ン中ば覗(のぞ)こんでたなだけど。なんとがして中さいだ人間(ひと)ば呑み込むつもりで、ねらったなだべ。
 家ン中さいた爺さまも婆さも、ほれさちっとも気つかなえ風だでや、おっかなえごんだ。なじしんべて言(ゆ)たて、爺さまなど稼ぎ出んべど思(も)て腰上げだどごだど。ほして戸の口出はりがげたどさ、中がら婆さまは声かけたけど。
「爺ッさ、爺ッさ、お茶のんで行げ」て言(ゆ)うけど。爺さまも、せっかくだと思て、家がら出んなやめて引込(ひこ)で来たけど。とぐろまいで、出はて来たどこ一呑みとばり力(りき)んでた大蛇ごとしては、あてはずってしまったべちゃ。
 ほれどごろが、いま婆さまの言(ゆ)た言葉がなんとしても気さかがっちょん。
「なえだどや、大蛇(おじゃ)呑んでがら行げ…って」が。ふしぎなごんだ。ここにゃ、おれよりもまと(もっと)大きい者(もん)いんなでなえがな。大蛇呑めとは、これゃ大変なこったぞ。人間ば呑むどごろか、早く逃げなえど、こっちがやらっでしまう。大蛇ごどしては何ば勘違えしたが、さっさど、どさが姿くらましてしまたけどは。
 お茶は邪気はらう―て、大蛇(じゃだえ)追っぱらたわけだ。爺さまだて、戸の口がら引返したさげ命拾たべ。「朝茶は七里戻ても、ご馳走なれ」てな。しかも「朝茶は二服」どて、なんぼ忙しくて腰落着けでらんなえ時でも、急須をしたんで二服にしたごどにしたたていい、仏さまの一服茶にはなんなえようにだな。
 ほれがら、「朝茶三服呑んで出がげで、もし怪我(あやまち)でもあれば、北野の天神ないど思え」― 三服呑んでも、何があたら、そん時ぁどうしても避げらんなえ災難だったと諦めるよりしようなえていうごどだんだ。朝茶にや、ほげた曰くあんなだど。
 どんぺからんこ なえけど。

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