29 弘法水

 むかしとんとんあったずま。
 あるところに働きな嫁さまいだった。ほこは、どこの村も同じだげんども、そう余裕のあっどこないくて、みんな一生懸命働かんなねがったて。そこの嫁さんも一生懸命毎日機織りしった。
 昔は「一丁前」ていうなあって、一人前どこのぐらいさんなねていう仕事量あった。たとえばウスビキ、ツマゴ仕掛けで五足。素ワラジだったら十足。ゾウリ十足。ハケゴは大きいのは一人半。小さいのは一日(ひして)。ミノは三日。どかて、ワラ仕事でも田でも一日どのぐらい(うな)えばええどかていう「一丁前」ていうのあるわけだど。それ、しねうちは〈夜上り〉さんないどかて。んだから、なるべく時間がおしいわけだ。
 そこさ、みすぼらしい乞食坊主が来て、
「奥さん、奥さん、水、ごちそうしてけらっしゃい」
 ところが、水汲みに行くには、村はずれまで行かんなね。やりぐり遠いどころまで行かんなね。「はい」ていうたけぁ、その嫁さんが手桶(たが)ってその水汲みに行ってきた。そして御馳走した。と、その坊さん、またもどってきて、
「何とか、大変うまい水だったから、この水でお茶出して御馳走して()ねが」
 ほしたらこんど、その嫁さんが、「はい」て、にこにこて、悪れ顔一つしねで、機()から降っで、ほして、火、ふうふうて吹いで、燠残しったなさ、木くべて、ほして、お湯わかして、お茶出して飲ませた。ほして行ったと思ったれば、
「ああ、あの水で炊いだ御飯が所望だ」
 ていうわけで、こんどぁ、御飯まで、御飯ていえばお膳さつけるお汁から漬物からみな出して御馳走した。ほうしたら、そのお坊さま、
「ああ、お前みたいな人いね。処々方々(ある)たげんど、まず、おれみたいな着物きて行けば、嫌な目でみられる。ほれから水御馳走してけらっしゃいなて言えば、水ぐらいは御馳走する人いっけんども、お茶出して御飯まで気持よく御馳走してくれる人なて、ながった」
「おれも、こうして出家して歩ぐげんども、そう長くもないと思う。何か所望するものないか」
 ていうわけだ。そうすっど、
「家では、米もなんぼか作ってるし、何とか、かんとか暮していっから、別に欲しいものなて、ない」
 て、何一つ欲しがらねがったど。んだげんども、
「こっちの奥さん、水汲んできてけろていうたら、大変時間かかったがら、水あっどこ遠い、んねが」
 ていうたら、
「いやぁ、水だけ遠いのよ。水だけは何年に一度旱魃あってひどいんだ」
 ていうたって。
「そうか、んだらば、この杖置いて行ぐがら、この杖さしたどこさは、どこさでも水出る。そして一粒だと思っても、この水をもって行って、田に置けば、田いっぱいになっから。それから熱出たりしても、この杖さして出たどこの水飲ませっど、たちまち熱が下がり、腹痛たが治る。そしてこの水を飲めば、家内中で一人飲むど家内中が丈夫になり、一軒の家の人が飲めば、村中が丈夫になるのが、この水だ」
 ていうわけで、誰言うとなく、その水のことを「弘法水」ていうようになったど。どんぴんからりん、すっからりん。
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