福の神

 大晦日だから、臼の中さ今夜入って寝んべ。年呉(く)れで行ぐ歳徳神さま来る晩だから。年呉(け)で行んから、臼の中さ入って寝でっど、年を貰うごとない。んだど、
「ここに何人いるから、何枚いるわけだ」
 というわけで行ってみたら、一枚余るんだど。
「ああ、仕様ないから、臼さでも貼って行くべはぁ」
 て、その札、臼さ貼らっでよ。んだもんだから、結局、臼の中さ入って、かぐっででも、そうして年もらったど。
 正月の二日の晩に、宝船たたんで、それに書くのは、〈永き夜のとおのねむりの、みなめざめ、明日またるる宝船〉と書いて枕の下に敷いてねたもんだな。

 草履かくしという遊びもあったな。輪になって、中に鬼になる人が、ジャンケンでもして負けた人が入り、まずみんなが片方の草履を脱いで、真中に入った鬼
     ぞうりかくしの なんまいだ
 と唱え、さがして、一番最初に見つかった人が、次の鬼になるんだったな。
 山辺(東村山郡山辺町)から半里ぐらい入ったところに「鬼の目」という名の部落ある。そこでは二月の節分の豆まきはしないという話です。

 あたしはお産のときに産婆さん、一回も頼んだことない。子ども十二人とりあげてきました。こっちのお産のときは、そっちのばぁちゃんが取上げてくれるというようなことで、一回も産婆さんにかかったことない。おれが取上げてやった中に、指六本ある子どもがあったな。いとこ同士の結婚だったな。お産は座産の方が楽です。あたしも座産三人しました。前に大きいアンカンをしてもらって、上から帯下げてもらって、力綱だな、寝てお産するよりずっと楽です。エナはヘソの緒から指一つのどこ、青苧糸できりっと結って、少し置いてもう一つ結って、真中からプツンと切ったものです。そしてお墓に埋める。

 昔は、何でも作ったもんだな。醤油は小麦一斗さハナかけて、煎って豆一斗ひきわって、そして合せたものさ糀かけて、それに一回は塩を四貫五百匁、水三斗。そして毎日、かいでつく。百日経(おも)えば、それは一番しぼり、豆つぶしみたいな機械でしぼって、それさこんど水を半分、塩も半分入れて、また毎日かいて、それが二番しぼり。それはそのまま食うもの。もう一回三番しぼりをしたものだ。一番しぼりは一年置いても、何年たってもかぶれたりしない。味が濃いからでしょう。そして三番しぼりと一番しぼりを調合して、カラメルという薬があったもんだ。それはドロドロして、コールタールの色みたいなで、それを少し入れると、すごく色がつくもんだった。

 今の人、昔の苦労話しても誰も本気(ほん)にしてくれねげんど、こういう経験あんのよ。三つの子どもいると、ヨメと子どもの分として皿に魚一切れくれる。すっど子どもが皆食って、ヨメは食えない。
 んだから、嫁もらったら、嫁は嫁、子どもは子どもと、別々に出し、小姑には、 「お前だ、ヤキモチやいでいらんねがらな」と教えっだもんだ。
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