猿聟入

 むかしあったけどなぁ。
 むかしむかしのそのむかしあったけどな。娘三人もったんだけて。ほうして、こんど年頃になって、前田千刈、裏田千刈と田もっていたな地主だけっだなね。んで、それでその人が、
「はてな、家さ聟来てける人ないがなぁ。裏田千刈、前田千刈て言えば、相当な財産だから」
 それで聟探ししったんだけども、そしたらその話、田んぼさ行ってつぶやいて話しったわけだ。ほしたればそれを猿が聞いて、ほして、ほんどき干魃でね、水あんまり掛んなくて困っていたんだけど。んだから、
「この裏田千刈と前田千刈さ、水だっぷり掛けてける人いたら、どれか娘一人あげる」
 と、そういう風につぶやいっだんだそうだ。
 ほしたらば猿がどこかで聞いでで、ほして「んだれば…」と、お父さんと、あくる日会って、
「んだごんだら、娘、誰か一人呉でけっこんだらば、おれ、水、明日の朝までだっぷりとかけて呉る」
 と。ほして、家さ帰って来てみたげんども、まず、娘一人呉れるだから、猿によ。
「はぁ、困ったごんだ」
 と思って、
「お父さん、御飯上がらっしゃいはぁ」
 て、一番の大きい娘迎えに行ったど。ほしたれば、
「御飯食だくないはぁ」
 こう言うたてよ。ほして、「なして食ねの」ていうど、
「いや、わけあんのよ」て言うたってよ。
「そのわけ教えて呉ろ」て言うわけだ。ほしたれば、猿さ、田の水見に朝行ったら、前田千刈、裏田千刈さ、水いっぱい溜ってだど。ほれにはやっぱり猿には約束したんだから、娘一人呉る他ない。
「お前、猿のおかたに行って呉っかやぁ」
 て言ったど。ほしたら、
「小ばかくさい。猿のおかたに行ってらんね」
 枕ぶっつけて、一番の娘帰って来たって。ほしてこんど、二番の娘また起こしに行ったんだど。ほしたれば、
「御飯食いたくないはぁ」
「なして食ねな、父ちゃん」
 て言ったれば、実はこういうわけだ。「ほだな、猿のおかたになの行ってられるもんでないっだな」
 また、枕ぶっつけて戻って来たんだってよ。ほしてこんど三番目の娘、また起こしに行ったど。ほしたれば、こういうわけで、一番娘も二番娘にもことわらっじゃげんど、
「んじゃ、猿さ約束したな申訳ないから、起きて御飯食うどこでないから、御飯食わんねはぁ」
 て、お父さん言ったんだど。ほしたれば三番娘がやっぱり利巧な娘で、
「んだれば猿の奥さんに、おれ行んから、起きて御飯食べて呉ろ、お父さん」
 て、こう言うたって言うのよ。
「んだらば、お前行ってけっこんだら、それほどましたことないんだ。んだらば起きて御飯食べっかなぁ」
 て、起きて御飯食べて、田んぼさ行ってみたれば、裏田千刈、前田千刈、やっぱり水だっぷりなっていたわけだ。猿も来て、
「んだれば、おれも約束したんだから、あんたも約束破んねで、おれさ娘一人呉でけんなだべな」
「んだら、上げます」
 ということで、三番娘が行ったわけだ。娘が嫁にな。
 ほして何か月か経って、節句来たしすっから、餅でも搗いで持って、里帰りすんべと、「んだら、餅搗いてか」て、餅搗いたわけだ。ほして餅搗いたら重箱さ持って行くべったら、
「重箱くさくて、お父さんは食べない」
「んだら、何さ入っで行ぐ」
「何さ入っじゃて食わねがら、臼そのまま背負って行ぐべ」
「んだら、臼がらみ背負うべ」
 て、ほして背負って行ぐわけだ。ほして行ったれば、そこに沢あって、桜の木満開に、三月だから、桜咲いっだどこよ。ほしたれば、
「枝一つ、お父さんさ土産にもって行ったら、なんぼかお父さん、喜ぶべ」
「んだら、はいつ、折って行くべ」
 臼おろすべと思ったら、猿が。ほしたれば、
「土くさくて食ね」
 ていうから、「んだら、背負ったままか」て言うたら、「んだ、ほうしてもらいたい」て、娘言うたんだど。ほしてこんど、猿、娘そういうふうに言うもんだから、臼背負って、木さのぼって、「この辺か」「も少し先だ」「この辺か」「もう少し先だ」
 こう言うてよ、ほして、その枝、ばりばりと折(おだ)っで、沢さ落っでしまったど。そん時に猿が詠んだってよ。
    猿沢に流るる命おしくない
      あとにお姫がお泣きやるべい
 それから娘が家さ帰って来て、裏田千刈、前田千刈の家の後とりになって暮したけど。

 あの、鶯と蛙と何かあったのもあったげんど、後先(あとさき)忘れたのよ。鶯は「うたの助」、蛙は「井戸の中のびっかくりん」ていう。ほれから「竹林の中の…」化けものが出る話なぁ、忘れてしまったなぁ。

 志田周(ちか)子さん(大井沢に生れ、女医となり辺地の医療に生涯を捧げた方)は、あたしより四つぐらい若かったんだな。その志田さんの家さ、あたしだ「針仕事習い」に行ったんだもの。あの人だ、子どもの時分、あの人のお父さんは学校の校長先生で、五年、六年はあの人のお父さんから習ったもの。それから村長したんだな。若くしてなくなったね。周子さんは何でも六十前に逝くなってしまったからね。して弟さんは戦死して、その下の弟さんが家もってるわけよ。原の伝吉と言えば、大井沢でも財産家だったね。ほして大井沢に医者さっぱり居ねど困るというんで、お父さんが一生懸命になって女医にしたわけだ。長女だげんどな。そのにアツ子さん、ムツ子さんに、ソウイチロウさんと、四人姉弟だから、その下に今の人がいるんだな。あたしたちのときには、ソウイチロウさんまでしかわからない。ソウイチロウさんは戦死したんだな。

「うん、手まり唄、思い出した」
   正月門松 二月は初午
   三月おひなさま 四月はお釈迦で
   五月はおのぼり 六月てんのう
   七月七夕 八月八朔
   九月は菊祭 十月恵比須講
   招ばれてまいたら
   鯛の浜焼 □□の吸物
   いっぱいしましょ チュチュ(口を吸う真似)
      ×  ×
   味噌 ごんぼ しょうねん太鼓
   きりして 刻んで おささこさ
   おささこ畑に 一郎が
   煙草のみのみ ささやら焼いても
   一丁 一丁

 おはじきには歌ていうもんじゃないでしょうが、「お一つ、お二つ…」なていうたな。

 うちの方に、「シラクラ」という部落で、立木から少し山の方に入ったところだが、シラクラの子どもは学校さ来っど、みな五本指で物を食べるので、五本指で食べると「シラクラ箸」というたもんだ。
 絵本で知ってるべげんど、「桃太郎」でも語ってみっか。
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